三田評論ONLINE

【写真に見る戦後の義塾】
半世紀前の入試・合格発表風景

2019/03/26

解答速報を販売する学生たち
合格発表の横では、学生団体が合格者速報を販売
手書きの合格者番号
合格者速報を洋服店で見る
  • 富山 優一

    慶慶應義塾名誉参与

中央の(一番上の)写真は試験当日の日吉の風景である。新聞会など塾生の団体が模範解答を販売している。予備校と連携して、試験終了時に間に合わせての販売だった。確か1970年代後半まであったようだ。また、合格発表の速報も彼らによって構内で販売されていた。慶應仲通り等の洋服店にも合格者速報が貼り出されていて、そこでいち早く知ることもできた。学生服を新調する新入生は今よりはるかに多かったはずだ。新入生は自分の受験番号が貼り出された店で学生服を新調することは鼻高々だったことだろう。店主もまたその点を心得ていたのかも知れない。朝、合格発表があると番号表は案外ルーズに扱われていたようで、今思えば信じられない古き良き時代である。古き良き時代といえば、1967(昭和42)年頃の合格発表掲示は手書きだった。すべての学部のすべての合格者番号は膨大な量になるが、受験番号が大変見やすく同じ調子で書かれている。71年をもって手書きは終了となった。筆者が入試業務を担当していたのは70年代終盤から80年代にかけてであったが、この職人技を自慢げに話す先輩達がまだまだいた。その後10年ほどはタイプライターで作成したものを近所の写真店で大きく拡大して使用していた。

また入学試験当日を思い起こすと、以前は三田の正門に「ゲート」を設置して関係者以外のキャンパスへの立ち入りを禁止していた。当時学園紛争の余波はまだ続き、学生などによる入試妨害が危惧されていたからだ。それでも時と共に平和になり、1985年には「ゲート」は南校舎の入口に後退し、立入禁止区域は狭まった。今では更に狭まり試験会場が置かれたそれぞれの校舎の入口に設置されている。79年に入試センター試験の前身である共通一次試験が始まった。社会的にもまた学内の入試処理方法も大きく変化した時代であった。義塾では全学部に対応したコンピュータシステムを新たに開発し、それに伴い合格者番号表もプリンターから出力したものをそのまま掲示すれば良いようになった。その後、発表方法は変遷し、現在では受験生はweb上で出願し、合格発表もweb上のマイページで行うので本人だけが見ることができる。合格者番号表の掲示もないため、発表日当日に三田山上が賑わうことはない。隔世の感がある。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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