三田評論ONLINE

【写真に見る戦後の義塾】
日吉銀杏並木から遠く山々が見えた頃

2019/01/29

日吉記念館前広場から銀杏並木を眺めると日吉の街の向こうに山々が見えた。1964(昭和39)年3月撮影
2018(平成30)年12月撮影
  • 西岡 浩史

    慶應義塾評議員、三田体育会顧問

丘の上には空が青いよ  ぎんなんに鳥は歌うよ歌うよ
ああ美しい我等の庭に  知識の花を摘みとろう

「丘の上」、慶早戦勝利の歌第一節である。日吉開設前の昭和3年につくられた歌なので、日吉を謳ったものではないが、慶應義塾には三田の山、日吉台、と丘にそびえ立つ銀杏の木が多くあり、塾生、塾員にとってはシンボルツリーとして忘れがたき思い出とともに今日もある。

写真にある昭和39年3月、卒業式での「日吉銀杏並木から見えた山々」は東横線日吉駅方向を見たもののようだが、銀杏並木の思い出は多々あれども山々を見た思い出は残念ながら私にはない。地図で確認すると、どうやら奥多摩方面の山のようだ。今では駅舎のビルが見えるだけで、素晴らしい景観を呈する銀杏並木が際立つ。

「日吉銀杏並木」の歴史をたどってみると、昭和10年、高さ約3.6メートルの銀杏の木が坂道に沿って植えられ、昭和24年米軍からの接収解除時にはカマボコ校舎脇に成長著しく銀杏並木として立派な姿を見せている。昭和33年、創立100年記念として建設された日吉記念館は多くの行事開催と共に体育会の練習場として活用され続けたが、蝮谷階段登りとともに、記念館へと続く銀杏並木の坂道鍛錬はキャンパス内体育会部員にとっては、365日銀杏並木に見つめられつつ育った、苦しくも良き思い出の場として特別な感慨を呼ぶ並木である。

駅を挟んだキャンパス反対側には野球場、サッカー場、テニスコート、ラグビー場、グラウンドホッケー場など、体育会各部の練習場、合宿所があり、授業、試験に向かう時には駅から道を渡り「銀杏並木」に入るとホッとすると同時に緊張感を覚えたものである。今でもたまに訪れる日吉には「良き学生時代の思い出」として「銀杏並木」が醸し出す「何か」にハマっている。

〝教育の一環に体育あり〟、日吉記念館の建て替え、蝮谷体育館、陸上競技場、並びに整備強化された練習場は来る東京オリンピック、パラリンピックに向けて英国TEAMへ施設提供を行う。すでに始まっている各部との幅広いコラボレーションは「日吉銀杏並木」に新たな歴史の一ページを築くこととなる。神宿る「銀杏並木」は日吉キャンパスのさらなる発展を見守り続けてくれるだろう。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

  • 1
カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事