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【写真に見る戦後の義塾】
慶應義塾命名100年記念式典

2018/12/26

満場の拍手のなか進む壇上者入場。前方には祝典曲演奏を待つワグネル・ソサィエティーの大合唱団とオーケストラ
祝辞を述べる中山宗之君(当時商学部4年)。
壇上の松永安左エ門氏(右、当時93歳)と高橋誠一郎氏(左、当時84歳)。当日、両氏には慶応義塾大学名誉博士称号が授与され、両氏に関する資料展も開催された。1968年5月15日撮影
  • 中山 宗之(なかやま むねゆき)

    元新日鉄ソリューションズ株式会社金融ソリューション事業部長

50年前の1968(昭和43)年、塾生として命名百年実行委員長を拝命いたしました。式典に先立つ福澤先生墓前祭(4月23日)から始まり、翌年1月には日本橋三越本店で学生実行委員会主催で「近代日本と福沢山脈」と題した展覧会が開催できたことに感謝しております。

命名百年実行委員会は三田の文連本部に集合場所を確保し、有志を集めて塾生としてどのような記念すべき企画をするべきかを真剣に考えました。当時学生運動がいたるところで起き、翌年の東大の入試は中止になるなど、世の中は騒然とした時代であったと記憶しています。その中にあって過去を振り返り未来を洞察する企画、鬱々とした環境を少しでも跳ね除ける企画は何かを議論して得た結論は、「近代日本と福沢山脈」展であり日吉での記念イベントでした。

式典後に行われた日吉での記念イベントは、應援指導部の協力を得て盛大に行うことができましたが、そこに至るまではいろいろな壁を乗り越えて行かなければなりませんでした。銀杏並木から日吉記念館までのブラスバンドの行進は初めは認められませんでしたが、諸兄の説得でやっと実現することができました。またこの日は早慶によるラグビーの試合もあり、慶應が快勝しています。イベントの最後、有志達とあの広い記念館の床に敷き詰めたカバーシートを撤収する作業が終わった時は深夜になっていました。片付けが終わった後、集った仲間たちの協力があったからこそ完遂できたと、その後の人生での糧となりました。

私は式典での祝辞で、最高学府としての独立自尊、気品の泉源、智徳の模範の大旗のもと、揚げ通した真理の灯は、今も我々の誇りとするものであり、武器を持つより将来50年、100年のために学べと言われた先生の学問的態度を受け継ぎ、新しく始まる100年への第一歩を踏み出すべきだ、さらに我が国は大きな転換期、或いは危機さえ孕む時代にたち至っているように思われる、と述べさせていただきました。

それから50年経ちましたが、なおも我々の前には数々の難題が立ちはだかっています。独立自尊の精神を保ち、歩んでいくことは今も課題であると言わざるをえません。命名150年の年にあたり、福澤先生の残した一つ一つの言葉を嚙みしめ、進んでゆく所存です。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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