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【写真に見る戦後の義塾】
三田祭

2018/11/27

弁論部屋外演説会
福引の賞品には人気を博していたエレクトーンや大型ステレオセット。これらも時代を表している。 1966(昭和41)年撮影
  • 石黒 敦子

    元広報室長

毎年11月に開催される三田祭は、古くは1951(昭和26)年からのいわゆる文連祭に始まります。学術研究団体連盟と文化団体連盟が合同で開催したもので、1953年には三田祭と称されましたが、慶應義塾創立100年を迎えた1958年には一貫教育校も含めた全塾的な「100年祭」としてキャンパスを越えて実施されました。現在の三田祭は慶應義塾の第2世紀を迎えるその翌年を第1回とし、三田キャンパスで秋に開催することが定番となっています。写真は第8回の1966(昭和41)年の三田祭です。当時の「三田新聞」などを見ると年々マンネリ化が話題にのぼり、10周年に向けて果敢に企画が練られました。「なぜ企画するのか、その中から何を得るのか」が各企画案に問われ、本部企画は「転換期に立つ日本の選択」とされ、講演やシンポジウムが開催されました。当時の経済企画庁長官の藤山愛一郎氏による講演「明日の日本」は大教室が満員となりました。弁論部は屋外演説会を試み、そのテーマは週刊誌記事から火がついた「女子大生亡国論」や「女性と職業」、あるいは返還運動が盛んだった沖縄をテーマに「悲劇の島、沖縄」、また「政治の腐敗」などが選ばれ、幟が立てられて聴衆を集めています。他方で福引も復活し、南校舎1階の教務部にそって一口100円の福引を求めて長蛇の列ができました。

1966年はどんな年だったのでしょうか。3月には日本の総人口が1億人を超えました。6月にはビートルズが来日、7月には成田に新国際空港の建設が決定されました。学内を見れば、前年の学費値上げ紛争も決着し、9月にはサルトルとボーヴォワールが来塾して、学生たちは熱狂的に迎えました。サルトルが怯えたほどだったそうです。図書館新館、大学院校舎もなかった三田キャンパスの中庭はゆったりと広がり、現在の三田祭とは異なる様相でした。

その後、他キャンパスで独自の学園祭も始まりました。1978年には医学部で四谷祭がスタート、湘南藤沢キャンパスでは開設から丸2年たった1992年に秋祭が開始、矢上キャンパスでは2000年から矢上祭が行われています。芝共立キャンパスでは2008年から芝共薬祭が1947年からの共薬祭をひきついで開催されています。今年も工夫を凝らした学園祭に多くの来場者が訪れるのではないでしょうか。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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