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【写真に見る戦後の義塾】
矢上キャンパス開設

2018/08/22

完成した矢上キャンパスと正面の坂道
日吉からの遠景。日吉から続く道も造られた。
建設中の松下記念図書館と新幹線
  • 徳岡 直靜(とくおか なおちか)

    元慶應義塾大学理工学部准教授

これらの懐かしい写真は、1971(昭和46)年春頃の工事の様子と完成当時の矢上キャンパスです。当時、小金井にいた工学部(現理工学部)にとって、矢上台への復帰は長年の念願でした。大学紛争や遺跡の発掘などの影響で工事が遅れたこともあり、まだ一部で工事が行われている中、71年夏から引越しを開始しました。正式に矢上キャンパスが開設されたのは、73年4月でした。矢上に移転して既に半世紀近くが過ぎ、小金井キャンパスをご存知の方も少なくなってしまいました。小金井キャンパスは横河電機工場跡地を受け継いだもので、殆どの建物は古く、一部の校舎や研究室は工場の建物をそのまま使っていました。すきま風や砂塵には本当に悩まされたものです。したがって、矢上台への移転は、小金井にいた者にとっては夢のような出来事であったわけです。

日吉記念館の脇を抜けると、谷の向こうの小高い丘の上に矢上キャンパスが威風堂々と見えます。日吉キャンパスから続く正面の坂道は、私たちにとっては未来に向かう希望の道とさえ感じたものです。坂道を登りきると、そこには広場が広がり、正面には6階建ての研究棟が、右手には梅の木と藤棚、そしてその奥に松下記念図書館がありました。また、左手には池があり、その脇に大きな楠、池の向こう側に教室棟を背にして藤原銀次郎翁の胸像があり、我々を見守ってくれていました。授業の合間のこの広場は学生達で溢れ、立ち話をする者、石段に腰掛けて昼食や雑談をする者、藤棚の下で本にくぎ付けになっている者等々、教職員や学生の交流の場でもありました。私にとってこの広場は憩いの場であり活力の源でもありました。研究に行き詰まった時など、ここをゆっくりと歩き回り、谷の向こうに見える日吉キャンパスや夕日を眺めながら思いを巡らせた場であり、原点に戻る場でもありました。今は、この広場には理工学部の顔として創想館が建ち、池の横にあった楠の大木は、矢上台のシンボルとして創想館の正面で人々を迎えています。

この広場がなくなったのは一寸残念ですが、その代わりに創想館に設けられたラ・ポワールのベランダでコーヒーを囲んで学生達と議論を交わしたのを懐かしく思い出します。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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