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【写真に見る戦後の義塾】
藤山記念日吉図書館

2018/06/26

藤山雷太像除幕式の1976年5月26日、像を見上げる学生たち
彫像は長谷川栄作「引接」(大正6年文展特選主席)
  • 伊藤 行雄(いとう ゆきお)

    慶應義塾大学名誉教授

日吉キャンパスの塾生会館と食堂棟のあいだの道を進んで、生協店舗前の急坂をのぼると旧藤山記念日吉図書館(現藤山記念館)が見えてくる。グレー系の建物が多い緑豊かなキャンパスのなかで、この建物の正面は荒削りのあざやかな赤いレンガ風のつくりで印象深い。この図書館に初めて足を踏み入れたのは、私が入学した昭和39年4月のこと。現在の来往舎の場所には学生・教職員食堂、生協や梅寿司などの平屋の建物が点在していたせいか、イチョウ並木道からも赤レンガの壁が見え隠れしていた。

藤山図書館の前身は、藤山コンツェルンの創始者である藤山雷太によって白金台に藤山工業図書館が昭和2年に建設されたことに始まる。外務大臣などを歴任した長男の藤山愛一郎が昭和19年にこれを慶應義塾に寄贈し、使用されていた。ところが戦後、工学部が小金井に移転して、利用者も少なくなったこともあり、昭和33年、創立100年記念事業の一環として、藤山家の了承を受けて藤山工業図書館の土地建物を売却し、新たに藤山記念日吉図書館として建設されたのである。昭和33年は、戦後、狭い校舎の施設で勉強してきた学生たちにとって、第4校舎や藤山図書館、日吉記念館建設によってキャンパス環境が一変した年でもある。

1985年に新図書館が竣工。図書館は藤山記念館と名称を変えたあと、教室として、国際センターなど、さまざまな役割を荷って現在に至っている。

私は、大学1年生の夏、体育科目の必修単位のシーズンスポーツに参加するため10日間連続で日吉に通っていた。午後は、毎日、藤山記念図書館の2階閲覧室の、矢上側の大きな窓のそばに席を取り、歴史の浅子勝二郎教授に提出するレポートを書いていた。冷房のない時代、崖に茂る樹木を渡ってくる風が心地よかった、あの窓辺は今どうなっているのかと思い、先日訪ねてみた。空間は白壁のパソコン教室に生まれ変わっていたが、おなじ窓から見える風景は昔と変わらず、鬱蒼とした緑に覆われていた。一瞬、五十数年前、机に顔をうずめて午睡に耽る自分の姿が脳裡をかすめた。懐かしい想い出の一齣である。



※所属・職名等は当時のものです。

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