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【写真に見る戦後の義塾】
第一校舎での卒業51年以上塾員招待会

2018/05/01

第一校舎2階の3教室で開催され、好評であった。
1987年撮影

写真は、昭和62年、第2回卒業51年以上塾員招待会の光景である。場所は昭和12年竣工の三田第一校舎2階。出席者の在学中には木造校舎があった場所である。出席者は約800名。前年から始まったこの招待会は今日に至るまで毎年開催されている。今でこそ多くの大学がホームカミングデイなどと称して卒業生を大学に招待しているが、義塾におけるその歴史は古い。

昭和28年、卒業後25年と50年の塾員を卒業式に招待したのが最初であるが、現在では卒業後25年の塾員を卒業式、50年の塾員を入学式にご招待している。51年以上の塾員に対しては気候の良い時期に招待会を開催し、ご招待しているが、出席者の増加により会場は大きく変遷してきている。第1回は西校舎食堂で開催したが、翌年は出席者の増加により第一校舎へ。さらに手狭になったため、西校舎食堂に戻り1日2回開催。また山食との2会場同時利用など工夫を重ねたが、ついに入りきらず平成11年からは日吉記念館へ変更。日吉記念館でも、やがて日吉会堂との同時利用や日吉記念館での1日2回開催など工夫を重ねた。ちなみに、終戦後の昭和24年に卒業した初めての女性塾員が出席したのが平成12年。そしてさらなる塾員数の増加とともに、とうとう日吉キャンパスも溢れてしまった。そのため危険回避の点からも一昨年からは会場をパシフィコ横浜に移すことになった。母校で開催せずして来てくださるのかという心配もあったが、結果、杞憂に終わった。旧友との絆の固さ故だろう。昨年の出席者数は約4,200名である。

以上の招待会には伏線とも言える義塾の伝統があるのだろう。人と人との交際を大事にした福澤先生は、広尾の別邸で多くの懇親の会を開催したそうであるし、また義塾社中すべてに開かれている萬來舎を三田山上に設置し、さらに一般社会に向けては交詢社を設立した。また卒業生たちは先生の教えを受け継ぎ、多くの三田会を立ち上げ交流を図っている。これらの考え方の延長線上に戦後の塾員招待会もあるのだろう。

改めて写真を見てみると、大きく口を開けて一生懸命に歌う大先輩の姿も微笑ましい。今年もまたパシフィコ横浜で5月19日に開催される。

(慶應義塾名誉参与 富山優一)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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