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【写真に見る戦後の義塾】
秋山加代さんを偲んで〜小泉信三博士歿後30年記念行事にて〜

2018/02/01

左から、安東伸介名誉教授、秋山加代氏、小泉妙氏、小泉準藏(1996年5月11日)
小泉信三博士の遺影の前で

写真を見て、すぐに浮かんだあまりに個人的すぎる思いでを書く。

秋山加代は、私の15歳上の従姉である。上等そうな着物をよく着こなし、落ちつき払った雰囲気と積極性をあわせそなえ、人が集まれば、いつも話題の中心にいて、右総代的だった。

私が幼稚舎1年生の時、保護者会に病気入院中だった母の代わりに加代が出てくれた。加代は聖心女子学院卒業の前である。立派に出席代理の口上を述べたろう。えらい。担任の先生は「行儀のよいお子さんです。工作で紙箱を作る時に糊しろをぜんぶ切り捨てます」とおっしゃった筈だ。

加代は秋山正さんと私の家でお見合いをした。ふだんはあまり使わない応接間に、正さん、父母、見物を許された私が待機し、加代が茶をのせた盆をしずしずと運んでくるという手筈だった。物怖じしない加代がなかなか来ない。まだ来ない。何をしてるんだ。ドアがいやに静かに開いた。「ツイニアラワル」と私が言った。それで「愼ちゃん、叔父さまに叱られた」と加代は言うが、私に叱られた記憶はない。父の生前に確かめたが「僕はそんなことで子どもを叱らないさ」と答えた。

加代の婚約が1943年で、翌年私は「学童集団疎開」で修善寺へ行く。3つ上の6年生に安東伸介さんがいた。後年、安東さんは私の個展会場で、裸の踊子がとんだりはねたりしている絵をお買上げくださった。安東家は奥様の御出産を間近に控えていて、そのための費用から絵の代金を捻出してくださったと知って、いっそう恐縮している。

1988年「小泉信三博士生誕100年を祝う会」が帝国ホテルで開かれ、安東さんのピアノ伴奏で私の妻富美子が「浜辺の歌」を歌った。安東さんはタキシードを着用、エナメル靴を新調した。

加代の妹小泉タエは私のちょうど10歳上になる。「ちょうど」というのは誕生日が同じだ。ある頃から、準藏タエ、私夫婦と合同の誕生会をした。渋谷の鯨を食わせる店に行ったり、銀座の「はち巻岡田」に行ったりした。

旧図書館をバックに立つ4人のうち、3人がすでに亡い。気心の知れただれかれが欠けてゆく。

(画家・昭33文 阿部愼藏)

*秋山加代氏は2017年12月3日に逝去された。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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