【その他】
【From Keio Museums】日本ラグビーの父、E・B・クラークゆかりのモノたち
2026/02/10
ラグビーボール···横290mm×高さ200mm
台座···横263mm×奥210mm×高さ130mm
所蔵:慶應義塾福澤研究センター(岡村育世氏寄贈)
所蔵:慶應義塾福澤研究センター(岡村育世氏寄贈)
慶應義塾の2026年は「花園」で幕が開いた。志木高蹴球部が全国高等学校ラグビーフットボール大会に初出場、ベスト16まで勝ち進んだことは塾生・塾員にとって年末年始の大きな話題となり、慶應ラグビーの歴史に新たなページが書き加えられた瞬間であった。
その歴史の1ページ目に深く関係するモノがエドワード・B・クラーク(Edward Bramwell Clarke)の旧蔵品である。クラークは1874年横浜で生まれ、居留地のヴィクトリア公学校等で教育を受けたのち、北米やジャマイカを経てケンブリッジ大学で学位を取得、1899年教員として慶應義塾に着任した。そして秋冬に暇を持て余す塾生たちへ学友田中銀之助とともにラグビーを教えたことが日本ラグビーの扉を開いたのである。1901年には横浜の外国人チームと記念すべき最初の対外試合を開催し、1903年クラークを部長として蹴球部は体育会に加入した。
右下のペリカンの紋章入りのキャップはクラークの学んだケンブリッジ大学コーパス・クリスティ・カレッジのグラデュエートキャップで、卒業生にこのようなキャップを贈る文化はおそらくクラークと田中を通じて草創期の蹴球部に持ち込まれ、「イートンキャップ」と呼ばれた。左下はそのキャップの表面に縫い付けられたワッペン。部員がデザインを考案したと思われ、「K」と「O」(植物の装飾)に「大」の字入りペンマークがあしらわれている。「1902-04」という年代は現存で最も古いものである。
そしてオブジェである。台座はずっしりと重い大理石でボールは銅製。台座裏面には所々欠けて読めないが「創立30年記念 日本最初のラグビー指導者に謹んで感謝の意を表す 昭和6年◻︎慶應義塾蹴球部」と彫られている。これは1931年4月、蹴球部の本拠地である新田グラウンド(現東急池上線武蔵新田駅北側、大田区千鳥2丁目周辺)でラグビー30年記念大会が開催された際の記念品と思われる。当時京都帝大に勤めていたクラークは招待状の受領が遅れて欠席したが、往時を懐かしむ手紙を寄せた。その後1934年にクラークは亡くなり、神戸市立外国人墓地に葬られている。日本ラグビーの発祥を伝えるこれらの貴重なモノは神戸でクラークの孫娘と遊ぶなど交流のあった寄贈者に預けられ、昨年慶應義塾に寄贈された。現在三田キャンパスの慶應義塾史展示館で展示している(3月2日まで)。
(慶應義塾史展示館専門員 横山 寛)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
- 1
| カテゴリ | |
|---|---|
| 三田評論のコーナー |
