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西澤 直子:『文明論之概略』に学ぶこと

2025/12/24

提供:慶應義塾福澤研究センター
  • 西澤 直子(にしざわ なおこ)

    慶應義塾福澤研究センター所長・同教授

『学問のすゝめ』と『文明論之概略』

『学問のすゝめ』は、福澤諭吉が国民すべてに向けて書いたメッセージで、社会をどのように変革すべきかがわかりやすく記されている。一方『文明論之概略』は、すでに老眼が進んだような漢学者たちを対象にした、いわば学術書であり、福澤が和漢洋書をひもときながら執筆を重ねた自己研鑽の結晶で、こむずかしい。二書にはこんなイメージがあると思う。

しかし『文明論之概略』の緒言を読めば、「一身にして二生を経るが如く」の大転換を経験した福澤が、その経験値を活かして「日本全国の面を一新」することをめざした書であることがわかる。すなわち『学問のすゝめ』同様、同書もまた国民へのメッセージなのである。

緒言の最後には「往々社友に謀りて或はその所見を問い、或はその嘗(かつ)て読たる書中の議論を聞」いたとあり、自身の読書体験だけでなく、人びとと議論し、彼らの読書体験からも知識を得て執筆した。つまり『文明論之概略』は福澤の著述であると同時に、彼の周囲の人びとの知識や問題意識をも内在している。中でも福澤が「特にその閲見を煩わして正刪(せいさん)を乞」うたのは、小幡篤次郎であった。福澤は小幡によって「理論の品価」が増したと書き、『文明論之概略』への小幡の貢献については近年平石直昭氏のご研究がある(『福澤諭吉と丸山眞男:近現代日本の思想的原点』、北海道大学出版会、2021年)。

小幡篤次郎と『文明論之概略』

福澤が『文明論之概略』を執筆している頃、小幡は何を考えていたのか。小幡は福澤と同じく中津藩士の子に生まれ、元治元(1864)年福澤の塾に入り、以来彼の側にあってその仕事を助けていた。明治7(1874)年2月の『民間雑誌』創刊号には「農に告る文」を寄せ、日本人としての意識を持つことや智恵の重要性、「政府の所業の良否」を知るのは一国人民の職掌であり、いずれそこから議事院に立つ人も現れると述べている。日本中の人びとが智恵を磨けば、外国との関係においても禍が却って福となるという。

しかし翌年2月の「内地旅行の駁議」(『民間雑誌』第8編)では、「人心或は土崩瓦解」に瀕していると危惧する。福澤は前年10月の馬場辰猪宛書簡で「マインド之騒動」が止まないと述べていた。世情の不安定は、2人の共通の認識であった。小幡は、人心を維持する「綱(つな)」が多く存在し、「綱」を理解する知識と保存する徳を持つことが必要であると説く。「綱」とは「昔物語を共にするの綱」「一政府を仰ぐの綱」「言語を同ふするの綱」「風俗習慣を同ふするの綱」等で、歴史や文化、common cause となるべきものが、人心を維持し国体を固結するという。

彼は明治7年から9年頃に、自宅で森下岩楠、須田辰次郎らとJ・S・ミルやアレクシ・ド・トクヴィルの講読会を開いており、一般の人びとも参加していた。一説には福澤の勧めともいう(「義塾懐旧談」『三田評論』235号)。7年6月には三田演説会も始動した。『文明論之概略』第2章では、自由の気風は多事争論の中に存在するとあり、慶應義塾の中でも盛んにディベートが始まっていた。

『文明論之概略』の中で第10章が、他の9章の文明論とは異なり、現状への問題意識が強く反映されていることはこれまでも指摘されている。現存する第10章の草稿の執筆時期は明治8年1月18日から2月2日、小幡の「綱」論が明治8年2月刊行、緒言の日付が明治8年3月25日であることを考えると、『文明論之概略』は彼らに示す処方箋でもあった。

『文明論之概略』から学ぶこと

私たちはひとつの時代を生きているようで、全くそうではない。「昭和」っぽい、「平成」っぽい、は単にデザインの話ではなく、実は一身にして二生を経るどころではない、大変化の中に生きているのかもしれない。学生たちがレポートを原稿用紙に手書きしていたのは、つい30年前であるのに、今やAIが作成したものが確認もせずに提出される。変化の本質を見極めないことは恐ろしい。

『文明論之概略』は、「議論の本位を定る事」から始まるように本質の議論であり、多くの示唆が含まれている。たとえば福澤は第7章で、「家族」の間は情を以て交わりを結び、自らを薄くして他を厚くし、他の満足をみて却って心に慊(こころよ)きを覚える関係と述べ、第10章では「国家」の「家」は人民の家ではなく、執権者の家族もしくは家名であるという。しかし「国家」の「家」が「家族」になった時、自己犠牲が美談となり、私たちは大きく道を踏み外してしまったと言えはしないか。

日常の大きな変化とは裏腹に、福澤が「商売と戦争の世の中」と言った「今の世界」は、やはり「商売と戦争の世の中」のままである。なぜそれは変化しないのか。まだまだ『文明論之概略』から学んでいかなければいけないと思う。


※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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