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宇野 重規:自由は多元的なものがぶつかる中で生まれる
2025/12/24
福澤諭吉のアンソロジーを編んだことがある。ちくま学芸文庫の「近代日本思想選」というシリーズの『福沢諭吉』を担当し、福澤の作品のエッセンスをそこにつめこんでくれないか。そのような依頼を受けたのは、だいぶ前の話になる。依頼を聞いて「ちょっと、無理筋の企画だな」と思ったことを覚えている。
1つには、私の専門である。フランスの思想家で『アメリカのデモクラシー』を執筆したアレクシ・ド・トクヴィルの研究からスタートした私は、あくまで西洋政治思想史や政治哲学の研究者である。日本思想史、ましてや福澤の研究者ではない。しかしながら、編集者から「あえて違う専門の立場から選んで欲しい」と説得され、次第にその気になっていった。
とはいえ、福澤の優れた作品は数多い。そこから文庫本1冊に、エッセンスを抽出することは容易でない。まず、トクヴィルが出てくるという意味では『分権論』は外せない。「丁丑公論」や「痩我慢の説」もお気に入りだ。とはいえやはり、『学問のすゝめ』や「脱亜論」を入れないわけにはいかない。思いは千々に乱れた。
特に難所は『文明論之概略』であった。しばしば指摘される通り、福澤がこれを書くにあたって参考にしたのは、フランソワ・ギゾーの『ヨーロッパ文明史』である。若き日のトクヴィルはソルボンヌでのギゾーの講義に参加し、その視野の広がりに圧倒的なインパクトを受けることになった。フランス革命で打倒された貴族階級出身のトクヴィルにとって、封建制度がなぜ没落するのかを論じたギゾーの講義は実に重要であった。丸山眞男の『「文明論之概略」を読む』もあり、『文明論之概略』から何を選ぶかは、本の評価を左右しかねない。
とはいえ、分量の制限もあり、取り上げられるのは全体のごく一部である。第1章の「議論の『本位』を定る事」はまさに本全体の方法論的マニフェストである。そしてもちろん、ギゾーを換骨奪胎して自由に「西洋文明」の発展を論じる第8章はきわめて魅力的だ。しかしここはやはり、第9章の「日本文明の由来」を取り上げるべきだろう。そう腹を決めた。
言うまでもなく、『文明論之概略』は西洋文明論の名著である。福澤はギゾーらの議論を受け止め、それを自家薬籠中のものにする。しかし福澤がすごいのは、それにとどまらず、文明論というフォーマットを使って、自ら日本文明の歴史を語り始めたことだ。西洋の優れた学問や知見を正面から受け止めた研究者は少なくないが、それを使って日本を分析し、その分析自体が魅力的な知識人は、近代日本全体を見ても決して多くない。
西洋の文明の発展が単一の原理に支配されることなく、むしろ多元的な原理が競い合った点にあると分析した福澤は(もちろん、これはギゾーの『ヨーロッパ文明史』から得た洞察である)、その対比において、日本社会を支配する「権力の偏重」を批判する。
福澤に言わせれば、師弟、主従など、「日本にて権力の偏重なるは、あまねくその人間交際の中に浸潤して至らざるところなし」。人は至るところに序列を見出し、卑屈に従うが、それこそ「独立自尊」を説く福澤にとって我慢できないものであった。日本においても、貴族から武士の世へ、さらに武士の世でも様々な栄枯盛衰があったが、治者と被治者の関係は変わらなかった。豊臣秀吉が百姓から関白になっても、彼だけが偉くなったのであって、百姓一般の地位が高くなったわけではない。
学問も同じである。権威になびく「精神の奴隷(メンタルスレーブ)」が支配する場所に、自立した学問は不在である。「西洋の文明は、その人間の交際に諸説の並立してようやく相近づき、遂に合して一となり、以てその間に自由を存したるものなり。(中略)顧て我日本の有様を察すれば大にこれに異なり」と福澤は説く。
ヨーロッパは多元的なものがぶつかりあって、その間に自由が生まれて発展したのに対し、日本もまた多元的なものがぶつかったはずなのに、それが単にばらばらのままにとどまって、自由を生み出すことがなかった。異なる考え方が競い合い、それでも相互に否定せず、自由な対話によって合意をはかる伝統が形成されなかった。
このような福澤の指摘が、はたして過去のものとなっているのか、思わず考えてしまう。あるいは、現代においてなお、私たちの間には「権力の偏重」が支配しているのではないか。序列にとらわれ、「長いものに巻かれる」ことが行動様式になっているのではないか。ましてや自由の精神を失い、「精神の奴隷」に陥っているのではないか。
自由は多元的なものがぶつかる中で生まれる。多様な考えがあるのは文明の発展を阻むどころか、むしろ推進力である。このような福澤の指摘は、「自国ファースト」に陥りがちな世界と日本に鋭い警告を発しているように思えてならない。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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宇野 重規(うの しげき)