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【ヒサクニヒコのマンガ何でも劇場〈特別編〉】アメリカ大陸の「インド人」

2025/09/08

  • ヒサ クニヒコ

    漫画家・塾員

最近は横浜でもよくインド系の方々を見かけるようになった。コンビニでアルバイトをしているような方からハイテク産業で働いていらっしゃる方まで多様で、普通にバスなんかにも乗ってこられてすっかり住民だ。

しかし今回取り上げたのは在日のインド系の人々ではなく、アメリカ大陸の「インド人」、つまり所謂アメリカン・インディアン(ネイティヴ・アメリカン)の人々だ。インディアンと言っても日本人の言うインド人ではなくアメリカ大陸に元から住んでいた先住民のことである。コロンブスが大航海の末に発見した新大陸。当初到着点をインドと誤認したコロンブスが、現地の人をインド人だと思いインディオと呼んだのが始まりだ。

中南米はスペイン、ポルトガルの支配下になったのでスペイン語のインディオが定着。北アメリカはイギリスが主導権を取り英語でインディアンと呼ばれた。

アラスカから北米、中南米を通していわゆる新大陸にはコロンブスに"発見"されるまでいわば石器時代のような文化圏だった。ユカタン半島のアステカ文明やアンデスのインカ帝国のような素晴らしい独特の文化を生み出した人々は金や銀は加工しても鉄は知らなかった。黒曜石の鋭利な刃物はあったが鉄の剣はもっていなかった。緻密な石組みの建造物を作り、暦を作り季節に合わせた収穫物を利用し、華麗な土器類も生み出した。しかしその文明は馬のような武器にもなる家畜も車輪も知らなかった。

そこへヨーロッパの戦いなれた欲望に燃えた「白人」がやってきたのだからたまらない。アステカもインカもその緩やかな宗教を母体とした国家はあっという間に解体されてしまった。南米では広大なアマゾンに散らばったインディオたちが白人の手の届かないところで近年まで先祖伝来の暮らしを続けてきた。しかし近年になってアマゾンの開発が進み、その暮らしを追われることとなって政府と争いになったりしている。大量に熱帯雨林を焼き払い広大な放牧場を作ろうとしたり、金やレアメタルを狙う違法を含めた山師たちがジャングルを荒らしたりしている。もともと人口密度が低く国家という概念を持たない先住民は、自分たちの狩りや物々交換のテリトリーは認識していても個人の土地所有の権利なんてこれっぽっちも考えたことすらない。心ある人たちが少数先住民のために活動しているのが救いだが政府にとっては邪魔なだけのようだ。大きなお金が動けば多くの人が潤うからという理屈になるのだろう。

北米大陸ではアステカやインカのような国家は存在しなかった。北のエスキモー(カナダではイヌイットと呼称)、北西部の森林インディアン(トーテムポールで有名・定住性)、東海岸沿いにフロリダまでの定住性の強いインディアン、ミシシッピー以西のいわゆる平原インディアン、彼らはそれぞれの地域で部族ごとの社会を作り、狩りや物々交換などを通じて緩い文化圏を形成していた。もちろん馬も車輪も通貨もない世界だった。

東海岸に到達した白人は現地の人に助けられながら徐々に数を増やしていく。初めは毛皮などが主な産物として目に留まった。そのうち内乱や宗教的迫害、飢饉などから逃れるために欧州から移住して新天地を拓こうというヨーロッパ人が多くやってきた。当初、北アメリカはイギリス、フランスが主に所有権を争い、カルフォルニアやテキサスなどはスペイン、メキシコと領有を争った。イギリス、フランスの戦いは現地のインディアンも巻き込み大きく運命を変えていく。アメリカ合衆国がイギリスから独立し、大きく北米の支配権を入手したころ、現地のインディアンたちはアメリカという国家にとって単なる土地の付属物に過ぎなかった。イギリスやフランスと土地をめぐって争いをしたのに、引かれた国境線は白人にとってのものだけで、そこで暮らしていた国家を持たない少数民族たるインディアンたちは、自分たちの土地が勝手に人のものになっていくのを見守るしかなかったのである。

アメリカという国家にとってインディアンたちはその土地に暮らすシカやクマと同じで、しかもガラガラヘビのようにいないほうがましという存在だった。入植当初こそ東部のインディアンにトウモロコシの栽培を教わったり、ビーバーなどの毛皮をトレードしたり共存が図られたが、奴隷にも向かなかったインディアンは国策としてどんどん排除の方向へと向かっていった。南部では広大な綿のプランテーションのために労働力としてアフリカから膨大な数の奴隷を輸入していた時代である。

アメリカが南北に分かれて戦った南北戦争は日本の幕末明治維新とほぼ重なる時代だ。その南北戦争が終わると、アメリカは西部目指して一斉に動き出す。西部開拓である。いわゆる平原インディアンとアメリカ合衆国の戦いが始まった。映画の西部劇の舞台、インディアン対騎兵隊の戦争だ。戦争といっても、狩り場などのテリトリーを持ってはいるがインディアンは国家という概念がない。季節移動するバッファローとともに暮らす移動狩猟生活者で、いくつもの部族に分かれ連合を組んだり対立したりしながら交易も行ったりしていた。白人が入ってからは馬を入手し巧みな騎馬民族と化し、白人との交易で鉄のトマホークやナイフ、銃や火薬も入手するようになっていた。

アメリカ政府は「自分たち」の約束された土地を有効利用するのにインディアンは邪魔な存在であった。牧場や小麦プランテーション、鉱山、鉄道のための土地を安全に確保するため、部族の長を集め居留地を設定してそこにインディアンを閉じ込めようとしたのである。彼らの生活様式文化の破壊であった。生活の糧であるバッファローも徹底的に駆除を進めた。当然インディアンは反発し、些細な理由で騎兵隊に襲撃される。各個の戦闘では優れた戦士であるインディアンが勝利することはあっても、相手は国家である。カスターの第七騎兵隊が全滅させられても代わりの騎兵隊が山ほどやってくる。19世紀の終わりにはほとんどのインディアンが殺されるか居留地に移送された。アメリカの当時の将軍の「良いインディアンは死んだインディアンだけだ」という言葉が残されている。

こんなことを書いたのは、今のガザで起きているイスラエルの仕打ちをただ見ているだけでいいのかという忸怩たる思いからだ。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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