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シリーズ『怪獣化するプラットフォーム権力と法』(全4巻)の刊行

2025/07/18

  • 山本 龍彦(やまもと たつひこ)

    慶應義塾大学法務研究科教授、X Dignityセンター共同代表



    • 河嶋 春菜(かわしま はるな)

      東北福祉大学准教授、慶應義塾大学 X Dignityセンター共同研究員

2025年1月20日、ドナルド・トランプの大統領就任式には、ザッカーバーグ、ベソス、ピチャイなど、デジタル・プラットフォーム企業(以下「DPF」)のCEOが一堂に会し、トランプ家族の席にも近い「特等席」でその儀式を見守った。メディアの多くは、この異様な光景を、かつては抵抗することもあったDPFトップが、トランプという国家元首に跪(ひざまず)いた瞬間として報じた。しかし、本当にそうだったのか。

買い物はAmazon、友人・知人との交流はFacebookやInstagram(Meta)、"ニュース"の摂取はXやYouTube(Google)……。DPFは、今や社会経済生活のインフラとなった。ただ、より重要なのは、彼らが、中立的なインフラではなく、その「思想」を組み込んだアルゴリズムやAIによって個人の意思決定に影響を与え、我々の社会経済生活を積極的にデザインしているという点だろう。近年では、SNSのビジネスモデル、即ち、閲覧数や"いいね"等で示される我々の「関心」を交換財として取引するアテンション・エコノミーが情報空間全体を覆うことで、真実よりも「関心」を刺激する偽情報や誹謗中傷が拡散・増幅し、選挙のあり方にも重大な影響を与えている。DPFは、我々の自由や民主主義、さらにはこの国のかたち・・・・・をもデザインし始めているように思えるのである。

ここで改めてトランプの大統領就任式を想起したい。そうすると、ルビンの壺の如く、別の絵が浮かび上がってくる。トランプに屈したかのように見えたDPFトップが、「特等席」から逆にトランプを操縦しているようにも見えてくるのである。これは、800年のサン=ピエトロ大聖堂で、ローマ教皇レオ3世がフランク王国の国王カールにローマ皇帝の冠を被せた光景が、国王の側がそうさせた・・・・・ようにも見えてくる「カールの戴冠」を彷彿とさせる。

もちろん、この戴冠後にも、中世ヨーロッパで皇帝(世俗権力)と教皇(教会権力)との関係が安定しなかったように、国家とDPFという二つの「権力」が今後どう絡み合っていくのかを見通すことは容易ではない。やはり物理的暴力を独占する国家が勝利するのか、それともアルゴリズムやAIを通じてユーザーの「心」に侵入できるDPFが勝利するのか、はたまた、「身体を統治する王」と「心を統治する王」とが合体した超権力が誕生するのか。あれだけ蜜月だったトランプとE・マスクが、一転して犬猿の仲になったというのだから(2025年6月1日現在)、二権力の行方について、いま断定的な解を出すのは危険でもある。

ただ、確実に言えるのは、国家とDPFという二対の怪獣─ネット空間で悍(おぞ)ましい本性を曝け出している「人間」も考慮に入れるならば三対の怪獣(駒村圭吾)─の関係が、我々の経済、自由や民主主義、主権のあり方を考える上で、回避できない論点になりうる、ということだ。『怪獣化するプラットフォーム権力と法』と題した本シリーズは、こうした問題意識から編まれた。以下がその構成である(各巻2,970円[税込])。

第Ⅰ巻『プラットフォームと国家』
EU、中国、米国など、各国の法制度を検討し、国家とプラットフォームのあるべき関係を探る。
 山本龍彦 編集代表/ポリーヌ・トュルク、河嶋春菜 編
 慶應義塾大学出版会
 288頁

第Ⅱ巻『プラットフォームと権力』
プラットフォームの権力構造とそれを制御する法的手法を検討する。
 石塚壮太郎 編
 慶應義塾大学出版会
 312頁

第Ⅲ巻『プラットフォームとデモクラシー』
人民の怪獣的側面を直視した上で、テクノロジーを踏まえた新たなデモクラシー像を模索する。
 駒村圭吾 編
 慶應義塾大学出版会
 368頁

第Ⅳ巻『プラットフォームと社会基盤』
労働、教育、医療といった社会基盤の一端を担うDPFとの協働のあり方を展望する。
 磯部哲 編集代表/河嶋春菜、柴田洋二郎、堀口悟郎、水林翔 編
 慶應義塾大学出版会
 328頁

主に憲法学の研究者が編者となっているのは、単に彼らが権力の過剰に敏感な炭鉱のカナリアというだけであり、本シリーズの問題意識は、生成AIを含む先端テクノロジーの社会的・政治的影響に関心のある読者にも広く刺さる・・・ことだろう。

かつて福澤諭吉が「一国の独立」を説いたとき、その独立は他の列強国家からの独立を意味した。しかし今では、国家の「DPFからの独立」もまた論点となる。またDPFは「一身の独立」にとっても脅威となる。個人が常にDPFが構成する情報ネットワークシステムと接続し、精神的影響を受けているとすれば、個人の「DPFからの独立」が問題となるからである。このように、DPFという怪獣の力といかに向き合うかは、人間の精神的豊かさに関する論、即ち文明論そのものだとすれば、DPF権力の本格的研究が、文明論を追究した福澤のひらいた慶應義塾で開始されたことは、決して偶然でないように思われる。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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