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【From Keio Museums】高橋誠一郎 浮世絵コレクションが紡ぐ歌麿と写楽の世界

2025/06/09

喜多川歌麿画
「高名美人六家撰 富本豐雛」大判錦絵
寛政7~8年(1795~96)頃
慶應義塾蔵
東洲斎写楽画
「市川蝦蔵の竹村定之進」大判錦絵
寬政6年(1794)
慶應義塾蔵

慶應義塾には、1,500点もの浮世絵の名品が所蔵されていることをご存じだろうか。「高橋誠一郎浮世絵コレクション」と呼ばれるこのコレクションは、福澤諭吉の門下生であり、重商主義経済学の研究で知られた経済学者・高橋誠一郎(1884~1982)によって寄贈されたものだ。戦後は慶應義塾長(代理)や文部大臣、東京国立博物館館長などを務め、日本文化の発展にも尽力した高橋は、優れた浮世絵コレクターでもあり、大正後期から本格的に収集を開始。その体系的なコレクションは、浮世絵史を俯瞰できるほどの内容を誇る。

2025年6月3日より、慶應義塾ミュージアム・コモンズ(KeMCo)にて開催される展覧会「夢みる!歌麿、謎めく?写楽─江戸のセンセーション」は、2023年に好評を博した「さすが!北斎、やるな!!国芳」展に続く、KeMCoでは2回目の浮世絵展である。今回は、膨大な高橋コレクションの中から、江戸時代後期を代表する2人の絵師、喜多川歌麿(1753?~1806)と東洲斎写楽(1763~1820)に焦点を当てる。

歌麿は狩野派の絵師・鳥山石燕(せきえん)(1712~88)に学んだのちに浮世絵師として独立。寛政期には、美人の上半身を大胆に描いた美人大首絵(左図)で人気を博す。繊細な観察眼で女性美を描いた歌麿であったが、晩年には太閤記を題材にした版画が幕府の禁制に触れ、ほどなくして世を去った。

一方の写楽は、寛政6(1794)年に突如として登場した謎の絵師で、その正体は阿波藩の能役者・斎藤十郎兵衛とされる。版元・耕書堂の蔦屋重三郎(1750~97)から発表された役者大首絵(右図)は、誇張された表現で歌舞伎役者の個性を鋭く描き出したもので、当時としては極めて斬新であった。しかし、美化された役者像を好んだ江戸庶民には受け入れられず、写楽の活動はわずか10カ月で終了する。140点以上の作品を残して姿を消したが、後にヨーロッパでその芸術性が高く評価された。

この2人の才能を世に送り出した人物こそが蔦屋であった。本展では、彼が出版した『吉原細見』などの資料に加え、2人のライバル絵師の作品も展示する。保存状態の極めて良好な高橋誠一郎コレクションの優品を、ぜひ会場で堪能していただきたい。(慶應義塾ミュージアム・コモンズ学芸員 小松百華)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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