【その他】
【時は過ぎゆく】誰よりも慶應人らしく──小泉妙さん逝く
2025/04/22

小泉妙(こいずみたえ)さんが2024年12月15日に99歳で逝去された。同月21日、飯倉の聖アンデレ教会で行われた葬儀の際、棺の傍には慶應義塾体育会庭球部の塾旗が掲げられた。
妙さんは聖心女子学院の卒業で、2008年に特選塾員になられたとはいえ、慶應義塾を卒業されたわけではない。その葬儀に塾旗、それも庭球部の部旗というのは、よく考えればかなり不思議な光景だが、参列者には誰一人疑問を持つ者はなかったろう。
経済学者であり、元慶應義塾長、元評議員会議長、そして塾体育会庭球部長をつとめ、あらゆるスポーツの良き理解者でもあり、さらには皇太子(現上皇)の御教育参与としても知られる小泉信三を父に持つ妙さんとは、20年に渡る交流の機会を頂いた。その出発点は、現常任理事の山内慶太さんと幼稚舎教諭の神吉創二さんとともに20回以上のインタビューを重ね、『父 小泉信三を語る』(慶應義塾大学出版会、2008年)を編集したことである。
小泉信三に関する知識はある程度持っていたつもりだったが、お話には、ご親族、庭球部、木曜会、泉会、白水会などなど父信三の多様な交遊を娘の目で見た思い出が語られ、当初わからないことばかりで怖じ気づいた。「伯父は…」といえば小説家の水上瀧太郎、「兄は…」といえば戦死した小泉信吉、「吉田さん」は幼稚舎長の吉田小五郎の時もあれば吉田茂のこともあり、幸田露伴、野呂栄太郎、米内光政、古今亭志ん生……など、歴史上の人々がめまぐるしく顔を出してくる語りに、いつしか私は虜になった。小泉家の恩人である「福澤先生」も息づかいの聞こえる存在として語られ、私にもグッと近づいた。
小泉家について面白く感じたのは、父のお説を拝聴するような一家ではなく、両親と一男二女の間に対等な応酬のあるダベりに満ちた家庭であったことだ。仄かな、時に強烈な、ユーモアを添えて、豊かに表現しあう日常があった。格好良くすましているイメージに相違し最もおしゃべりで、どこか隙がある小泉信三なる人物が、妙さんの口から等身大で浮かび上がってきた。
父たる信三は幼少の妙さんに「橋の下で拾ってきた」とか「生まれたとき、猫が鳴いたかと思った」とからかう。それが大層嫌だった妙さんはある時「どうして拾ってきたのに生まれたときの声を知っている」とやり返した。すると面白くなくなった父は、その話をしなくなる。空襲による大火傷で慶應病院に入院中にガーゼの交換で「いてえ」と言うと、戦争帰りの主治医から「怪我してるんだから当たり前だ」と叱られる父。民間の生活を知ってもらうためにと皇族を自宅にお招きしたとき、くつろがせようというサービス精神で、なぜか「宮様、寝言をおっしゃいますか」と唐突に切り出してしまう父。こんな調子で、小泉家の日常は、黙っていれば雲の上はるかな存在になる「小泉信三先生」を、地上からしっかり離さない。
早慶戦を観戦する父に対する妙さんの描写が私はとりわけ好きだ。神宮球場の貴賓席で双眼鏡を手に観戦する姿は「ヒイキ目には司令官とも見えたが、スパイの親玉のようでもあった」。何かの都合で自宅観戦になったときに敗戦が迫ると「最後の1球までわからない」と全身で語りながら「岩のように坐って」いる背中を家族が見つめている(『父小泉信三』)。信三先生の頭から立ち上る湯気まで見えるようだ。姉秋山加代さんの凜としたどこか峻厳さもあるエッセイとはまた違い、妙さんはユーモラスでどこまでも愛が溢れていた。
ただ戦争を語る時にはその滑らかさが失われた。ある取材に立ち会った際、兄の戦死は学生を戦場に送り出した父にとって「贖罪だったと思う」という表現を使われた時には、今まで感じたことのない緊張が走った。
妙さんは50歳以上離れた私に対しても「お友達だと思って」と仰り、実際そのように接してくださった。それをうれしく思った私は、旅先から手紙を書いたこともたびたびだった。友人同士の集まりにお誘いいただいたこともあったし、多磨霊園の小泉家と母方の阿部家の墓参に山内さん、神吉さんと共にご一緒したこともあった。
何よりも私の財産になっているのは、妙さんを通じて、慶應義塾の息吹を再認識したことである。小泉信三は自らが体験した塾生生活を振り返り、生徒の気風が自然で、偽善気らしいものがない、人に威張ることが流行らず、自由寛容でサッパリしていたとし、「好い学校に入ったと思った」と書いている。その気風が、妙さんとその周辺に満ちていた。慶應義塾という学校がどのような人間を育てるかを、どの文献を読むよりも雄弁に語ってくれたのが妙さんの生き方であった。真の慶應人の気風を引き継ぎ、さらに育てたい、そう思わせてくれたことに心から感謝したい。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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