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【書評】『慶應義塾高等学校野球部史』

2024/11/12

  • 佐山 和夫(さやま かずお)

    ノンフィクション作家、高野連顧問・塾員

“Baseball is love.” といった人がいる。スポーツキャスターのブライアント・ガンベル氏だ。“The other sports are just sports.” とまで言い添えている。

どのスポーツにだって、同様のことがいえる場合はあるに違いないから、これはよほど言い過ぎを恐れない、思い切った発言かと思っていたが、この度、『慶應義塾高等学校野球部史』を手にして、考えを改めた。

たしかに、“love”という語でしか表せない場合が、野球には多くあることを、何よりもこれは証明していて、携わった関係者諸兄の思いの熱さに、胸打たれざるを得ない。

言うまでもなく、塾生たちによるベースボールは、日本におけるこの球技の最も早い時期から存在した。その源とされる三田ベースボール倶楽部には、大学部、普通部などといった区別もなく、実力主義でチーム編成がされていたという。年齢に関係なく状況に応じてゲームを楽しみ、時にはOBや他競技の部員なども集まって紅白戦をしたりしているのは、さぞかし愉快なものだったろう。

明治21(1888)年結成のこの倶楽部についての資料は「乏しい」とのことであるが、しかし、胸に大きくMITAとあるユニフォーム姿の集合写真は鮮明にして、当時の道具までが明白に写されているし、メンバーや外国人教師の名前も、長く誤って伝えられていたものが訂正され、正確になっているのは貴重だ。

この時代の部員たちが、熱心、且つ生真面目に、ベースボールに取り組んでいたからこそ、アメリカ留学から帰った平岡凞(ひろし)が明治11年に編成していた新橋アスレチック倶楽部から指導を受けたのみならず、彼らの解散時には、本場渡来の野球用具の一式を、塾野球部に寄贈してくれたのだろう。慶應義塾は、それだけでも他校にはないアドバンテージをもって進むことができたわけだ。

その後の塾野球部の活動は目まぐるしい。それぞれの時期、それぞれの分野における奮励努力の連鎖が、詳細且つ公平に述べられている。塾高野球についてはもちろん、塾普通部、塾商工学校、それに慶應二高それぞれの野球部についても、個別に詳述されているのは見落とせない。

新制高校になった時点を境に、二分された年表も実に懇切で、野球を離れた塾全体の歴史に加え、「世界と日本の野球史」及び「世界と日本の動き」という項目を以て、社会状況まで載せているのは、意義深い。

読んでいて楽しいのは、第3章の野球部の記憶だ。それぞれの時代を飾った部員たちの生の声が聞ける。

単に長い歴史を語るのみの部史では大して意味はないが、本書は野球という球技全体の日本における歴史の中で、塾高野球が果たした役割というものを常に意識に入れて書かれていることから、その価値は1校の記録の領域を遙かに超えた。

幸い、多くの同志と強い人間関係に支えられて、慶應義塾高等学校の野球は、常に明朗で積極的な姿勢を貫いてきた。その尊い汗と涙と歓声の跡がここに読めるが、かといって、自分たちの歩みのみを重視しているのではない。そうでなくて、どうして「ライバル校から見た塾高野球部」までがあるだろう。

1990年以降については、練習試合の1つひとつまで、きちんと記載されているのには恐れ入った。また、「記録あれこれ」では、塾高選手たちによる公式戦での記録のうち、特筆すべき優れたものが列記されていて、説明までもが添えられているのが貴重だ。諸大会での戦績のほかに、「校舎物語」「練習場物語」「ユニフォーム物語」等々の読物も楽しい。

必要な箇所にある当時の新聞記事は、客観性と冷静さの尊重を伝えるものだ。随所に添えられている記録写真も、いずれもが秀逸で、当時の状況はもとより、選手たちの声まで聞こえそうだ。

これほどの資料を精査し、新聞記事なども適切に揃えるとなると、気が遠くなるほどの時間と根気が必要だったはず。多くの学校における校名の変更や関係者名の確認だけでも大変だったろう。

多くの座談会や対談、さらには思い出話やインタビューに読める舞台裏の打ち明け話も面白い。また、添えられているパートⅡにある監督、部長、コーチだった方々の言葉からも、学ぶところは多い。

この部史は、手にしてズシリと重いが、それは紙質の良さとページ数からくるばかりではなく、多分に中身の重さからもきているものだ。野球に対する愛、恩師や先輩たちへの敬愛、仲間や後輩たちへの情愛のあつさは、これほどにも重いのだ。長年をかけての本書の完成が、部の107年ぶりの全国優勝にドン・ピシャリ合致したとは、天の配剤もまた、よほどのものだったというべきだ。

“Baseball is love.” というのが言い過ぎでないなら、こういっても決して過言ではないのではないか。「慶應義塾高等学校の野球が日本一なのは、単に夏の全国大会で優勝したからではなくて、こんな重い重い部史を持てる部だからだ」と。

慶應義塾高等学校野球部史
慶應義塾高等学校野球部・日吉倶楽部
2冊セット、676頁(Ⅰ)、280頁(Ⅱ)頒布価格10,000円(本体価格)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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