【その他】
【社中交歓】鷹
2024/09/17
鷹の渡りに、自然のロマンを感じませんか?
鷹の渡りは、山の白樺峠、海の伊良子崎が名所とされます。サシバ、ハチクマ、ノスリ等、何種類もの鷹の仲間が、山が急で上昇気流が発生しやすい白樺峠に集まってきます。過去には1日に、7,500羽が渡った記録があります。最近は4,500羽くらいとのことです。渡りには体力を使うので、気流を利用して、羽を広げて長距離を飛ぶのだそうです。寒くなると、主食とする昆虫等がいなくなるから、暖かい地方へと移るのが主たる理由とされています。
白樺峠への道のりをガイドしますと、国道158号線を上高地・飛騨高山へ向かって、梓湖(東京電力の奈川渡(ながわど)ダム)の手前を、木曽方面へルートを取ります。奈川地域に入って、集落の川沿いに進むと、「鱒の養殖場」等があり、さらに進むと次第に白樺林になり、峠に近い広場に出ます。向かい合って立つ乗鞍岳(のりくらだけ)は絶好の撮影場所です。
帰りは奈川中心部に戻り、名物「とうじそば」をご堪能ください。
鷹の爪
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玉木 茂(たまき しげる)
大田原商工会議所会頭・1972経
トウガラシに詳しい副会頭の吉岡博美さんに伺ったところ、元々トウガラシの中で特に小粒で辛味が強く先端が湾曲して尖っているものを「鷹の爪」になぞらえて、特定の品種を示す名として使っていましたが、いつの間にか辛いトウガラシの代名詞になったとのことです。平賀源内の書といわれる「蕃椒(ばんしょう)ノ図」には「タカノツメ」が紹介されています。また同時代の「和漢三才図会」では「古くは『南蛮胡椒』と呼ばれていたが、今は『唐芥子(とうからし)』」と注釈されているので、「タカノツメ」と「トウガラシ」はすでに同時代に使われていたことが分かります。平賀源内の書で「タカノツメ」と種を画して「八ツ房(やつふさ)」と紹介されたものがあります。辛味がやや弱いが多収穫で江戸を中心に関東一円に広がり「内藤トウガラシ」の別名を持っています。これを親に改良されたものが「栃木三鷹(とちぎさんたか)」です。三鷹とはタカノツメに迫る辛さの小粒トウガラシの意味があり、今も栃木県大田原市で栽培されています。2019年にトウガラシの生産量全国一の宣言を行ったところです。
宮沢賢治『よだかの星』
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深田 愛乃(ふかだ あいの)
慶應義塾大学非常勤講師・2016文、18文、20社修
『よだかの星』は、「法華経」信仰者であった宮沢賢治の初期作品である。
よだか(夜鷹)は、みにくい見た目のために他の鳥たちから嫌われていたが、心の優しい鳥であった。よだかは、実は鷹の仲間ではない。風を切って飛ぶ姿や鳴き声の鋭さが鷹に似ていたため、そう名づけられたのである。しかしある日、このことを嫌がっていた鷹は、よだかに「市蔵」に改名せよと迫り、あさっての朝までに改めなければつかみ殺すぞといって脅した。その夜よだかは、たくさんの羽虫が毎晩自分によって食べ殺されること、その自分が今度は鷹に殺されることに思いをめぐらし、大声で泣き出した。この耐え難いつらさによだかは遠くの空の向こうに行ってしまおうと考え、空の彼方にのぼってゆく。やがて、よだかは青い美しい光をはなち、しずかに燃えつづける「よだかの星」となったのであった。
あらゆる命は生かし生かされ、つながり合っている。よだかは、その美しく悲しい輪廻の繰り返しから逃れ、永遠の星となったのである。
ハチクマ──多様性の謎
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小野 裕剛(おの ひろたけ)
慶應義塾大学法学部准教授
中型の鷹であるハチクマには胸腹部が白いものから明るい栗色、焦げ茶まで多様な個体がいます。私は毛色多型を作り出す遺伝子変異を長年研究してきたので、いつかはハチクマの羽毛色を研究してみたいと願いつつも、「色違いの鷹をたくさん捕まえるのは無理だろう」と半ば諦めておりました。
そんな願いが通じたのか、保存されていたハチクマ羽毛を扱える幸運が舞い込みました。遺伝子を調べると、焦げ茶を決める遺伝子には種内の突然変異では説明できないほど多くの違いがありました。現在は白と栗色の差を研究していますが、こちらの遺伝子にはさらに多くの違いがありそうです。こんな状況証拠から、別の進化を遂げてきた複数の祖先種が交雑してハチクマという多様性に富んだ種を生み出したのかもしれない、などと推考しています。
研究者人生が終盤に入った私にとって、趣味の野鳥観察と専門分野を結びつけてくれたハチクマとの出会いは大きな幸運でした。今後もハチクマがどんな驚きを与えてくれるのか、とても楽しみです。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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深澤 賢一郎(ふかさわ けんいちろう)