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【From Keio Museums】昭和20年8月15日の「感想文」
2024/08/07
アメリカ人は、3つの出来事──真珠湾攻撃、ケネディ暗殺、人類月面着陸──を耳にしたとき、自分がどこで何をしていたか覚えていると、かつてよく聞いた。日本人にとってのそのような記憶が、昭和20年8月15日ではなかったか。そしてこの日に日本人が何を思ったかを教えてくれるのが、この茶色い紙切れたちだ。まさにその日、陸軍の兵士たちに紙を与えて書かせた「感想文」なのである。書かせた人は、幼稚舎から慶應義塾に学んだ神代(こうしろ)忠男だ。在学中に学徒出陣で陸軍に入営し、当時は浜松の第1航測連隊で新兵教育の教官をしていた。
「感想文」は40枚あり、ある者はこれから「産業戦士ノ一員として一生懸〔命〕働きます」と戦後日本を想起させる言葉を記す。ある者は「大変うれしく有ります」と朗らかに大書していて驚かされる。たどたどしい字や酷い誤字脱字が多く見られるのも、新兵たちの背景を生々しく映し出す。最も大きく掲載した回答は、整った字ながら、論理混沌、文末は抹消されて困惑に満ちている。
神代は「慶應BAKA」を自認して母校のために一肌も二肌も脱ぎ、同期会「昭和19年三田会」は結成から解散まで中心を担った。酒は一滴も飲めないが、根っから人を集めて交流することを愛した人で、戦後一時結核で入院していた富士見療養所の同窓会まで結成したし、幼稚舎のクラス会は、いつしか未亡人が神代を囲んでお茶する会になっていった。
神代は90歳を過ぎてもいつも身なりを整えて帽子をかぶり、1人で三田にやってきた。「長生きなんてするもんじゃありませんネ」とニコリともせずにいいながら、戦前の日吉や軍隊生活を学生に語る授業を快く何度も引き受け、話し終えると学生(主に女子学生)に電話番号を配ったりしていた。そして、コロナ騒ぎになる少し前のある日、この紙切れの束をちょっと得意げに筆者に持参された。
書かせてみたいという好奇心に満ちた神代がいて、この「感想文」が存在している。何でも書いていいと思わせる上官だったからこそ、ざっくばらんな回答が並ぶ。これらは日本人の精神史として稀有な記録であるとともに、いかにも慶應出身らしい1人の、軍人らしからぬ軍人の姿も逆照射している。
(慶應義塾福澤研究センター准教授 都倉武之)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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