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【From Keio Museums】学徒出陣時の塾生の落書き

2024/06/18

竣工時の日吉寄宿舎の個室。左奥がタンス(撮影:渡辺義雄)
タンス扉裏に残された落書き(撮影:石戸晋、2012年9月)
タンス扉裏に残された落書き(撮影:石戸晋、2012年9月)

私がその落書きたちに気がついたのは、2009年のことだった。日吉寄宿舎は、1937年に建築家谷口吉郎の設計により完成したモダニズム建築で、南寮・中寮・北寮の3棟の寮舎と別棟の大浴場からなり、相部屋が当たり前だった時代に個室、備え付けベッド、床暖房、水洗洋式便所と、学生寮として東洋一と謳われる環境だった。選抜された塾生120名が暮らし、塾生が普段から盛んに出入りする文化的拠点となった。しかし戦争末期に海軍への貸与、さらに米軍の接収で改造と破壊が進み、戦後は1棟のみ寮舎としての運用を再開したが、学生の住居確保の必要もあって3人部屋になり、普段は立ち寄る人の少ない、知る人ぞ知る存在となっていった。

蛮カラ文化の拠点だった他の学校の寄宿舎では、壁という壁に落書きがなされる伝統が多くみられた。しかしそういう文化の流行らない慶應義塾にあっては、どうも奥ゆかしく備え付けタンスの扉裏に、ささやかに痕跡を残すことを思いついたらしい。開寮間もない時期は、部屋の初代住人として名前を楷書で残す程度の落書きがごく少数みられるが、わずか5年後の1943年に多くの学生が寮を去る学徒出陣を迎え、さらに翌年には海軍の入居のため立ち退く必要が生じ、学生たちは思いを落書きに托した。日吉寄宿舎の50周年記念誌に落書きの思い出が寄せられている。

「娑婆に居られるのはあと何日と数えて過す夜、僅かな酒の勢いを借りて書いたものである。こめられた思いはそれぞれであったろう。だが他人が窺い知るような、なまやさしいものではなかったろう。」

ここに掲げたのは、とりわけ印象に残った2つだ。「おゝ世紀の足音がきこえるなつかしの部屋心のふるさと栄あれ!」の激しい筆致は何を表わしているだろうか。「Was in der Jugend unsverirrter Alltag ist, erscheint uns später wie ein Märchentraum.」のドイツ語の走り書きは、「若き日の日常は、時がたてば夢物語となる」という意味である。

戦争を体験した先輩方はもうほとんどいなくなってしまったが、残されたモノは、何を後世に伝えられるだろうか。そのことを考える企画展「慶應義塾と戦争──モノから人へ──」を慶應義塾史展示館で開催する(会期:6月18日~8月31日)。

タンスの落書きは、今も寮内に残されている。

(慶應義塾福澤研究センター准教授 都倉武之)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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