三田評論ONLINE

【その他】
【KEIO Report】一貫教育でのBLS教育──命を救う、命の大切さを学ぶ──

2024/05/20

  • 山内 慶太(やまうち けいた)

    慶應義塾常任理事

3月2日の土曜日、三田西校舎において、シンポジウム「BLS(Basic Life Support)教育の実践と社会的意義」が、本塾一貫教育校BLS委員会と本塾大学スポーツ医学研究センター主催で開催された。

血液を全身に送り出す為のポンプの役割を持つ心臓の心室に細かく震えるような不整脈が起こると、その役割を果たせなくなる為、数秒で意識を失い、更に心停止へと至る。そこで、近くにいる人が直ちに、胸骨圧迫(心臓マッサージ)を行い、AED(自動体外式除細動器)で心臓に電気ショックを与え、心臓の拍動を正常化することが救命に不可欠である。この方法を、誰もがすぐに実践できるようにするのがBLS教育である。

慶應義塾では、2002年に小学校段階から高校段階まで全ての一貫教育校で、BLS教育を開始して現在に至っている。丁度20年の節目に当たった2022年はコロナ禍で、その先駆性と社会的意義を再確認する催しを行えなかったので、今年開催したのである。

義塾のBLS教育が始まったきっかけは、1998年、志木高のマラソン大会で生徒が亡くなるという痛恨事であった。当時医学部救急部の副部長であった堀進悟氏と、スポーツ医学研究センター所長であった山崎元氏の提案を受けて、翌年志木高でBLS教育がはじまった。そして、山崎氏は2001年、一貫教育校担当常任理事に着任すると一貫教育の全課程で行うことを、BLS委員会を組織して提唱、2002年から全ての学校で取り組むことになった。

当初は、それぞれに戸惑いもあったようであるが、各段階でBLS教育を在学中必ず受けられるようにすることで、第一に、進学の度に実習を反復することでその技能が向上すること、第二に、単なる救命技術の習得を超えて、緊急事態における判断、危機管理、生命の尊厳、市民としての義務等を根付かせるプログラムになるという教育的意義が確認されていった。また、医学部の循環器内科だけでなく、スポーツ医学研究センターには、競技中の突然死予防を目的とした神奈川県国体選手や大相撲力士のメディカルチェック等の十年余の実践と、横浜市高校生突然死調査等を実施しての問題意識があった。医学部救急部も、突然死は勿論、スポーツ中に胸部に強い衝撃が加わって起こる心臓震盪にもその訳語が定着する前から注目していたこと等、慶應義塾ならではの各機関での実践と問題意識の蓄積が推進力にもなったのであった。

全校でのBLS教育がはじまった2002年は、高円宮殿下がスカッシュ中に急逝された年でもある。当時は未だAEDは、医師の具体的指示が無いと使えない時代であったが、殿下の薨去等を機に議論が進み、一般市民が使用できるようになったのは、丁度20年前、2004年の7月である。義塾では、これにやや先行する形で、各校へのAEDの設置を始めたが、これは、ニューヨーク州が2002年に公立学校への設置を義務化したことに準じて、本塾ニューヨーク学院で既に設置していた経験も大きかった。

シンポジウムでは、筆者がこれらの経緯を「慶應義塾におけるBLS教育のはじまりとその後の展開」と題して紹介した後、女子高教諭の小山亜希子氏が「慶應義塾一貫教育におけるBLS教育の実践」と題して講演した。同氏はBLS委員会発足時からの委員で、当初の苦労等も述懐した上で、各校の取り組みとその変遷を詳細に紹介した。その方法には各学校それぞれの工夫があり、保健体育の授業内で行っているだけでなく、卒業生の医療従事者(幼稚舎)、体育会トレーナー(志木高)、地元の消防署(藤沢中高)等、校外からの協力を受けている学校など、多彩になっている。女子高では、心肺蘇生法普及のための医療系学部の学生団体KAPPAの協力を受けていたが、コロナを機に校内で3年生が指導補助員として1年生への指導に参加している。

次いで、「ウツタイン統計(消防庁院外心停止データ)分析から見たBLS教育の社会的意義」と題して、大学院健康マネジメント研究科修了生の湯澤あや氏と白川和宏氏から、「院外心停止の類型化(市中で倒れた人は助けられているか)」、「院外心停止の目撃者による蘇生率の違い(家族は助けられているか)」、といった実証的な分析結果が紹介された。更に、スポーツ医学研究センター教授で健康マネジメント研究科委員長の石田浩之氏から「スポーツ活動中の突然死をどう防ぐか」と題する講演があった。

また、小山氏、石田氏に加えて、医学部救急医学教授の佐々木淳一氏、BLS教育を受けた卒業生でのパネルディスカッションが行われた。この中では、医学部5年生の阪埜裕理氏が、幼稚舎以来BLS教育を回を重ねて受けてきたことで人を救うことへの心理的なハードルが下がったこと、現在KAPPAの部員として活動しているのも、率先して人を助ける人の育成の大切さを実感したことによると語った。また、現在は、幼稚舎の講習にも協力している医学部出身の早川道太郎氏からは、大学時代ライフセービングの大会に出場した経験も交えながら、中学・高校段階での正確な知識と技術の定着の大切さを語った。そして、これらの発言を受けて、石田・佐々木両氏からは、各一貫教育校で学んだ人達が、後輩を教えていくという慶應らしい仕組みを教員も一体となって発展させ、次のステージに進むことへの期待が語られた。

シンポジウムの最後には、一貫して社会に向けて啓発活動を続けて来られたAED財団理事長で元医学部教授の三田村秀雄氏から、「子供を救う、子供が救う」全国の実例の紹介と共に、個人の命を何とか救おうと汗を流す体験が人の命を大切にする人を育てると心の教育としての意義も語られて閉会となった。

義塾がBLS教育を開始した当初は、マスコミ等への発信も行って啓発に努めたが、数年前改訂の現行学習指導要領では、中学も高校も、心肺蘇生法を理解するだけでなく行えるようになることを求めるようになった。小学校の教科書にも詳しく説明され、BLS教育が当たり前になった中で、義塾の果たした社会的意義を再確認し、これを次の段階に進める責務を共有するシンポジウムとなった。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

  • 1
カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事