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【社中交歓】鯛

2024/04/22

一年安鯛

  • 西澤 堅(にしざわ けん)

    川越三田会前会長・1964商

わがまち川越の総鎮守であり、縁結びの神様としても広く知られる「川越氷川神社」では、鯛の形をした2種類のおみくじが人気を集めている。ひとつは一般的なおみくじ「一年安鯛みくじ」、もう1つは恋愛成就に特化した「あい鯛みくじ」。いずれも鯛の形をした張子の尻尾におみくじが挿し込まれている。

ユニークなのはその引き方。生け簀に多数およぐ鯛を小さな竹製の釣り竿で釣る形式となっている。参拝者は狙いを定め、目当ての鯛を釣ろうと励むが、これがなかなかに難しい。狙いどおりの場所には糸が垂れないのだ。氷川神社の山田宮司にきいてみたところ、「それこそがご神意でしょう」。なるほど。選んだおみくじの内容で自らの運勢を測れるものと考えてきたが、「どのおみくじを引けるか」ということから既に神様の導くご縁とは!

日本神話によると氷川神社の祭神であるスサノヲは元々、海原を治める役割を担う神様であったそう。皆さまもぜひ、海無し県・埼玉で鯛釣りをお楽しみください。

鯛茶漬けの流儀

  • 柏原 光太郎(かしわばら こうたろう)

    一般社団法人日本ガストロノミー協会会長・1986経

塾員でもある小泉純一郎元総理が愛したことで有名な割烹に赤坂「津やま」があります。近頃の割烹はおまかせコースばかりの中、津やまはがんこにアラカルトを貫いているため、好きなものを頼めることがありがたくて、私も若いころから通っています。

そこの〆の名物が鯛茶漬。小泉元総理も大好きだったことからメディアでも取り上げられ、有名になりましたが、私も好きで、〆をどうしようかと悩みつつ、結局は鯛茶漬にしてしまいます。

鯛茶漬は新鮮な天然鯛をタレに漬けて、茶漬けにして食べるわけですが、津やまのそれは、タレが美味しすぎて、3分の2は御飯の上にのせて丼にしてしまい、残りを茶漬にすることがほとんどです。醤油ダレに丁寧に当たったゴマを加えるのですが、そこに梅干を入れるのが津やま流。まったりとしがちなゴマダレにさっぱり感が加わり、ちょうどいい塩梅になるのです。最後の茶漬も、煎茶や出汁茶を使う店が多い中、津やまはほうじ茶。これがまた香りがよく、「津やまに来たな」と思わせます。

富山の鯛

  • 黒﨑 康滋(くろさき こうじ)

    株式会社黒崎鮮魚代表取締役・2000商

富山では、例年4月から5月の1カ月間に真鯛が多く獲れます。ホタルイカを追って、丸々と太った真鯛は春から初夏へ移り変わる季節を感じさせます。

漁港から約10~20分程度の距離にある定置網によって獲れる真鯛は、早朝に水揚げされ、活きの良い状態で出荷され、その日の内に食べることができます。

しかし、温暖化による海水温の上昇で本来であれば獲れるはずのものが獲れないということが起こっています。例えば、夏が旬のシイラは12月になっても定置網に獲れる。これぞ寒鰤という鰤が10月に北海道で獲れる。このようなことが毎年のように起きています。

今年の真鯛はどうでしょうか。昔はこうだったと嘆くよりも、今日の旬を追い求めることが最も大事だと思っています。

是非、皆さんも富山に来て今日の旬を味わってみてください。

川先の鯛焼き

  • 萩原 隆次郎(はぎわら りゅうじろう)

    慶應義塾幼稚舎教諭

幼稚舎では、運動会や校内大会で優勝すると担任が鯛焼きを振る舞う。この風習は川先(カワセン)こと川村博通先生が始められた。その起源を川先教え子の大先輩方に各代それぞれ聞いてみたところ、昭和30年前後に鯛焼きを配り始めたことがわかった。

初めはクラスでめでたいことがあると配っていたが、後に運動会の優勝ご褒美に変わっていったようだ。川先は各家庭に5個ずつ、補欠を含むリレーの選手には7個ずつ、合計250個ほどを自分のクラスに配っていた。全て川先の奢りであり、江戸っ子気質の豪快さが何とも川先らしい。

戦時中、幼稚舎疎開学園の食糧調達係であった川先は、裕福な世の中になっても、米の1粒、汁の1滴まで給食の食べ残しを一切許さなかった。鯛焼きについては、家族全員で切り分けて配り、最後に残ったものをあなた方が頂くのですよ、と我々に言い聞かせていた。川先の名言の1つに「伝統は守るべからず、創るべし」があるが、幼稚舎鯛焼き文化は守り続けても良いかなと思っている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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