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【From Keio Museums】空襲で焼け落ちた慶應義塾図書館

2024/04/11

昭和20年(1945)5月末頃か
東方社撮影 東京大空襲・戦災資料センター蔵

無残な廃墟をさらす瓦礫の中の慶應義塾図書館の焼け跡。そして「幻の門」の坂道の向こうに聳える、屋根の抜けた八角塔──平和なる三田での日々を知る我々現代人には余りに衝撃的な昭和20(1945)年5月25日の空襲被災直後の写真である。戦争のもたらした惨状を生々しく伝えている──といいたいところだが、実はこれらの写真にはかなり注釈が必要である。

まず瓦礫の中の図書館の写真。一見すると奥の図書館まで瓦礫が折り重なっているように見えるが、実は瓦礫は手前にしかない。撮影者は一段低い場所に立ち、地面と水平に近い視点でシャッターを切ることで、瓦礫の奥行きを錯覚させることに成功している。他のカットでは、図書館前の瓦礫のない広場に学生たちが集い談笑している。

では幻の門付近の写真はどうか。奥の図書館が焼け落ちている中でも、多くの者が大学に出入りしているように見える。しかし左右を見比べてほしい。ここに写る歩行者は、上る者も下りる者も全く同一である。つまり、やらせ写真なのだ。

これらの写真は、対外プロパガンダのグラフ誌『FRONT』の発行で知られ、木村伊兵衛、渡辺義雄といった大物写真家を擁した陸軍参謀本部直属の出版社「東方社」のカメラマンによるもの。プロパガンダへの利用を前提に撮影されたと見るべきだろう。

では、これらに込められた意図は何か。前者の廃墟は、学問の府を焼き払う米軍の無差別ぶりの強調であろう。後者は、空襲後も学問を求める健気な学生たちを示すことによる米軍への間接的な批判と捉えられようか。全部で37枚あり、いずれも米軍を非難し日本に同情を誘うストーリーを語ることが、意識的であれ無意識的であれ根底にあった写真と考えるべきである。

写っているものは、撮影時のレンズ前の事実であるが、写「真」であるか。廃墟の写真は慶應義塾史展示館の常設展に設置してあり、6月18日から始まる当館企画展「『慶應義塾と戦争』をめぐる50の資料」では他の写真も紹介を予定している。戦時の貴重な記録であることは間違いない。それに加え、背景説明の補助線を引くことで、現代のメディアと国家、そして個人の関係にも、視座を与えてくれる重要な資料である。

(慶應義塾福澤研究センター准教授 都倉武之)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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