三田評論ONLINE

【その他】
【From Keio Museums】箱の中の百足(むかで)

2024/01/16

雲龍百足蒔絵文箱、室町時代(16世紀)
所蔵:慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

慶應義塾ミュージアム・コモンズ(KeMCo)がセンチュリーミュージアムから継承した「センチュリー赤尾コレクション」には、沢山の文箱(ふばこ)が含まれています。文箱は、書状や願文などを収める、蓋付きの細長い箱です。『源氏物語』若菜上には、香木造りの高価な「沈のふばこ」が登場し、願文を封じるために用いられています。近世には、書状や短冊、料紙などの容れ物として様々な形の文箱が制作され、大名の嫁入調度にも加えられました。センチュリー赤尾コレクションに収められた文箱は非常にきらびやかなもので、梅、桜、菊、紅葉にはじまり、紫陽花、ススキ、蔦、棕櫚、そして鳥や蝶など、四季折々の自然をモチーフにした蒔絵が施されています。そのような中にあって、「雲龍百足蒔絵文箱(うんりゅうむかでまきえふばこ)」は異色の作品です。

被せ蓋を飾るのは、図案化された雲龍文様です。雲に乗って天に昇る龍はもともと中国で発達した図様で、皇帝の象徴として衣服などに用いられました。蓋をとって身の底を覗くと、そこには手のひらほどはあろうかという大きな百足(むかで)が潜んでいます。なぜ文箱に百足を配したのかは定かではありませんが、百足と龍の組み合わせというと、御伽草子『俵藤太秀郷(たわらのとうたひでさと)物語』の大百足退治譚が思い浮かびます。近江国瀬田の橋に棲む大蛇(=龍神)が、俵藤太秀郷に仇敵である百足退治を依頼するというこの物語では、百足が恐ろしい化け物として描かれています。一方で百足は、鎌倉時代以降、毘沙門天の使いとして、武人を守護し人々に福を与える存在とも信じられてきました。武田信玄(1521-73)の使番は、百足模様の指物を戦陣で掲げていたといいます。

文箱としては非常に奇抜なデザインを持つこの作品は、KeMCo新春展2024「龍の翔(かけ)る空き地」で展示されています。同展には、信玄の後を継いだ武田勝頼(1546-82)の書状、西洋中世の写本、なぞめいた獣骨から日本のゲームまで、龍のモチーフをもつ慶應義塾のコレクションが集っています。是非ご来場いただき、箱の底から天を覗(うかが)う百足をご覧ください。

*参考文献 植木朝子『虫たちの日本中世史』ミネルヴァ書房、2021年

(慶應義塾ミュージアム・コモンズ専任講師 本間 友)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

  • 1
カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事