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【ヒサクニヒコのマンガ何でも劇場〈特別編〉】ウクライナと戦争と......

2023/09/14

  • ヒサ クニヒコ

    漫画家・塾員

ウクライナにロシアが侵攻して約1年半、毎日のように戦況のニュースが入ってくる。今の時代だから生々しい戦場の映像付きだ。それにしても戦場の映像が第2次世界大戦とダブって見えてしょうがない。ウクライナは、まさに独ソ戦の主戦場の1つだったのだから仕方がないのかもしれないが、80年も前の戦争の話である。当時はウクライナはソ連邦の一員として侵攻してくるナチスドイツ軍と激しく戦う。今ウクライナ各地から伝えられる地名はみな当時の激戦地の地名である。ロシアとウクライナがにらみ合っているドニプロ川も、かつてはドイツ軍がロシア領に攻め込む拠点だったし、ドイツ軍が敗走する時も重要な撤退攻防を繰り広げた拠点だった。戦略上の要地は今も昔も変わらないのだろうか。

それにしても開戦当初から驚かされたのが、ロシア軍による民間施設への攻撃だ。民間のアパートや学校、病院、商業施設などへ容赦ない砲撃やミサイル攻撃を加えている。廃墟となった鼠色一色に染められた街並みの映像も、第2次世界大戦末期の東欧の街並みを連想させる。先の大戦で、このような惨劇は起こさないようにしようと誓い合った先進国のはずの国連常任理事国が、戦争を始めたのだから世界中が驚いた。しかもこのような無差別な市民への攻撃だ。

戦争は始めてしまえばこうなっても仕方がない、それが戦争なのだから、と訳知り顔で言う人がいる。続けて、だから戦争はいけない、戦争のない世界にしなければと。それにしても戦争だからと言って、してもいいことと悪いことがある。それが国際ルールというものでもあったはず。日本やナチスドイツは敗戦後そのような罪で裁かれたのではなかったか。

僕が第2次世界大戦の終戦を迎えたのは1歳半の時。子供のころの町の景色は焼け跡だらけ、ウクライナのような廃墟ではなく、突き抜けるような青空の下一面の焼け野原、ところどころに焼け残りのビルや蔵がある光景だった。進駐軍のジープが走り回り、横浜の伊勢佐木町、関内一帯は米軍のカマボコ兵舎、滑走路まであって連絡機が離発着していた。

そう、日本全土が米軍による無差別空襲で焼け野原になったのである。

当初は高空から中島飛行機などの軍需工場に狙いを定めた空襲だったが、思うように戦果を出せないので方針転換。昭和20年3月の東京下町大空襲になった。アメリカ本土に日本家屋の町を作り、関東大震災の大火の記録を調べ、研究しつくした新型の油脂焼夷弾を使用した。日本家屋を焼き尽くすためだけの爆弾だ。町には当然人々の暮らしがある。北風吹く寒い夜に、いきなり300機を超すB29の大編隊が低空から侵入。下町を囲むように投弾、四方を火の壁で包み、その後も次々投弾、10万人を超える人々が焼死した。

油脂焼夷弾はゼリー状の油を地上近くで発火させ体に付いたら叩き落とせない。布製の防空頭巾ではかえって燃えてしまう。赤ん坊からお年寄りまでが一晩で焼き殺されたのである。指揮をしたルメイは、もしアメリカが負けたら自分たちは戦争犯罪人で死刑だなと語っていたという。残虐な作戦だと自覚していて行ったのだ。戦争だから仕方がない、日本が降伏しないから仕方がない、300機のB29に搭乗していた3000人以上の搭乗員は何を考えていただろうか。低空を飛ぶB29の機内には人体の燃えるにおいが充満したとまで言われている。

もし、1人1人のアメリカ兵に火炎放射器を持たせ、その前に赤ん坊を抱いた母親を連れてきて、さあ焼き殺せと言ったら実行できるだろうか? 宿題をやりかけの少女が眠そうに立っているところへガソリンをかけて焼き殺すことができるだろうか。戦争だから、命令だから、日本が降伏しないから、日本が始めた戦争だから……そんな理由だけで目の前にいる老人を焼き殺すことができるだろうか? 人間として耐えられるとは思えない。そう、目の前にいないからできたのだ。上空を飛ぶ飛行機の中からは下を見てもわからない。火炎の中でもがく姿は見えやしない。だから任務として堂々と遂行できたのだろう。

そして広島と長崎への原子爆弾の投下である。たった1機が積むたった一発の爆弾が瞬時に10万人を焼き殺し、その放射線で長く人々を苦しめた。それこそ罪なき人を10万人も、1人1人焼き殺せば大変なことだが、何の躊躇も感じない高所からの一度の爆撃で行ってしまう恐ろしさ。人間が人間を殺す現実感が失われたところでの大量無差別殺人。人道や人間らしい感性の立ち入る余地のないところでの大量殺人。ウクライナで行われている無人機やミサイルによる無差別殺人も、核こそ使われていないがまさに人間性の欠如がおぞましい。無人機やミサイルの前では捕虜も降伏もあり得ない、ただ殺されるだけである。

東京下町大空襲を指揮したルメイは戦犯になることもなく、戦後日本政府から勲章までもらっている。航空自衛隊の設立に尽力したからという理由だ。下町の大空襲の後、続いて山の手の方も大空襲を受けた。当時大久保に住んでいた僕は、1歳と3カ月で焼き殺されそうになっている。自宅はもちろん全焼。毛布に包まれ母に抱かれて炎の中を逃げまどったという。防火用水の水をかけてもらいながら炎からにげる。大久保の鉄橋から枕木が燃えながら落ちてくる場面が鮮明によみがえると生前よく聞かされた。煙の中を逃げ回ったおかげで赤ん坊の僕の目はその後3日間開かなかったそうだ。

世界史の年表はほとんど戦争の記憶といっていい。世界史地図の国境の変化は戦争の結果だ。欧米による植民地支配もひどい。ひどい歴史を乗り越えて、今こそ人権が世界に通用する時代を作ってきたと思われたが、国家の意思という魔物は戦争をあきらめない。ウクライナからの毎日の報道は戦争と平和を改めて皆に考えることを求めているのではなかろうか。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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