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【From Keio Museums】「大衆割烹つるの屋」のカケラ(メニュー札、暖簾、椅子)

2023/09/04

所蔵:福澤研究センター都倉武之研究室

9月20日~10月7日、「三田につるの屋があった頃。」と題して慶應義塾史展示館で展示を行う。惜しまれながら閉店した「大衆割烹つるの屋」を振り返りながら、学生街としての三田通りの歴史を考える。塾史展示館開館からまだ日は浅いが、最も挑戦的な展示かもしれない。

三田通りの機械工具会館地下にあった居酒屋「つるの屋」は、ラーメン二郎までの知名度は無いかも知れないが、学生街らしさを急速に失ってしまった三田界隈で、最後までその香を残していたお店の1つであろう。1998年、学部1年生の時に初めて入った筆者は、2019年12月30日、つるの屋が閉店した日、最後に店を出た客となった。数か月後には移転再開予定だったが、筆者は稀有な店内空間を慶應義塾史の記録に残しておきたい衝動に駆られ、メニュー札の下がったカケラを入手した。その後、店主の渡辺孝さん(チーさん)の急逝で新装開店は幻となってしまった。廃棄されることになった壁面のペナント類も、いま研究室に保管している。

筆者は、何がこの店に塾生塾員を惹きつけたかを、常連だった名誉教授の樽井正義さんと考えたことがある。まずシンプルだが実は腕の確かな板前さんが伝えた料理。そしてぶっきらぼうながら客を平等に愛し、愛された店の方々の個性。さらにもう1つは、独特の空間。あの地下へと続く階段を下りて席に着くと、どこにいても店内が見渡せ、この店を愛することで結ばれた平等な、しかも毎度一夜限りのコミュニティがあった。それは、年齢の上下や肩書きで先輩風を吹かせることが流行らない、慶應義塾の学風に合致していた。「議論なすべし、談話妨げず」「興あらば居れ、興尽きなば去れ」と1876年に福澤諭吉が三田山上につくった塾生塾員のサロン「万来舎」そのものだったといったら言い過ぎだろうか。店に置かれていたロースクールの高田晴仁さんのご著書の献辞「つるの屋なくして学問なし」はけだし名言であった。このメニューがぶら下がる柱を見ながら、知的なコラボレーションがいくつ生まれてきただろうか。

これほど早くこれらが日の目を見ることは、本当は望んでいなかった。つるの屋なき三田に、早くも3年半の歳月が流れた。

(慶應義塾福澤研究センター准教授 都倉武之)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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