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【慶應義塾高校野球部甲子園出場】「常識」という高い壁――第95回センバツ出場、そして夏へ
2023/05/09
「常識を覆して、高校野球を変える」、75期生大村昊澄主将率いる塾高野球部が掲げるスローガンである。日本一や甲子園出場を目標に掲げるチームは多くあるが、長い歴史を持つ高校野球を変えるとはなんとも壮大かつ野心的な目標である。実際、部長を務める私としては、反感を買うのではないかとひやひやする場面もある。しかし、選手1人1人が自ら考え、意見を出し合いながらチームを作り、強い意志を持って主体的にプレーする野球、これを追求する価値には疑いの余地もない。長い歴史の中で培われてきたいわゆる「高校野球」、その一方で塾高野球部が目指す新しい高校野球、言うまでもなく、こんな簡単な二項対立で表現すべきではない。それでもなお、高校野球界に一石を投じたいという思いを持った選手たちに届いた吉報は「挑戦権」とも思えた。1月27日、第95回記念選抜高等学校野球大会への出場が決まった。実に5年ぶりのセンバツ甲子園である。
そして、我々の挑戦者としての立ち位置がより明確となる。3月10日に行われた組み合わせ抽選会で、昨年の夏、東北勢として初めて甲子園を制し、夏春連覇を目指す仙台育英高校との対戦が決まった。しかも、仙台育英には3本柱の高橋投手、湯田投手、仁田投手を含め、夏の優勝メンバーが7人も残る。非常に厳しい組み合わせとなったが、一方で選手たちの覚悟が固まったようにも感じた。やることはシンプルだ。昨秋からのチームの合言葉、「チャレンジ」である。組み合わせ抽選会で決まるのは、対戦相手だけではない。試合は3月21日。春分の日となり、多くの塾員が甲子園に詰めかけることが出来る。奇しくも今大会から4年ぶりに声出し応援が可能となり、まさに舞台は整った。
いよいよ迎えた試合当日、生憎にも試合開始前から雨が降り出す。慶應義塾先攻で始まった試合、仙台育英の先発は仁田投手。雨で緩んだマウンドに苦しみ、先頭の丸田湊斗を四球で歩かせる。しかし、その後盗塁で1死2塁のチャンスを作るも後続が断たれる。一方の慶應先発小宅雅己は危なげない立ち上がりを見せる。そして2回表、先頭の清原勝児がレフトへチーム初ヒット。その後1死満塁まで攻めるが、ここで登板したエース高橋投手に連続三振に切って取られる。4回表にも渡辺憩のセンターオーバーのツーベースでチャンスを作るも得点には結びつかず。慶應の各打者も力強いスイングを見せるが、それを上回る高橋投手の投球が光った。そして、試合が動いたのは5回裏、ここまで仙台育英打線を内野安打1本に抑えていた小宅が、3本のヒットを浴びて、1点を献上。前半押し気味で試合を進めながらも、リードを許して前半を終えた。
その後もお互いホームベースが遠く、1対0のまま迎えた土壇場9回表、ついに甲子園に若き血がこだまする。先頭の延末藍太がライト前ヒットで出塁。仙台育英ベンチは湯田投手にスイッチするが、渡辺(憩)が送りバントを決めて1死2塁とチャンスを広げる。ここで、好投を続けてきた小宅に代打安達英輝。秋季関東大会でも、代打でタイムリーを放った切り札だ。安達は湯田投手が得意とする初球のスライダーを狙い撃ち、見事センター前ヒットで同点に追いついた。その裏、代わった松井喜一が1死1・2塁のピンチを招くも後続を打ち取り、試合は延長10回タイブレークへ突入した。
今大会から新しく採用されたため、この試合が甲子園大会初の延長10回タイブレーク。無死1・2塁から攻撃が始まる。前の回からの継続打順となるため、慶應の攻撃は2番の大村から、最高の打順である。大村は難しい局面でのバントを見事に決め、打席には3番渡邉千之亮。4球目のスライダーをとらえ、レフトにあわやスリーランの大飛球を放つもボールはわずかにポールの左、大歓声はため息へと変わる。しかし、次の投球が死球となり1死満塁、ここで頼れる4番福井直睦に打席が回るが、直球をとらえきれずに打ち取られる。そして、2死満塁5番清原、甲子園球場が大声援に沸く、いや揺れる。しかし、この場面でも湯田投手は1球たりとも間違うことなく見事な投球。悔しいが潔く拍手を送りたい。
そして10回裏、送りバント・申告敬遠で迎えた1死満塁、あの「レフトゴロ」が記録される。仙台育英熊谷選手が放った打球がレフト福井の前に落ちる。誰しもがサヨナラヒットと確信したが、3塁ランナーはタッチアップのために3塁ベースに帰塁しており、そこから慌ててスタート。福井からの送球を渡辺(憩)が見事に逆シングルでキャッチして「レフトゴロ」。ビッグプレーに再び球場が揺れた。しかし、善戦も及ばず。続く仙台育英の主将山田選手が初球をレフト前に運び、サヨナラ。熱戦に終止符が打たれた。
最高の舞台で、最高の相手と、最高の応援を受けて、最後まで戦い抜けたこと、支えてくださった應援指導部、吹奏楽部、女子高バトン部、教職員、日吉倶楽部員、保護者、塾生、塾員、そしてすべての慶應ファンの皆様に心より感謝申し上げたい。しかし、やはり勝利と敗北の間にはあまりにも大きな違いがある。この試合を見ていただいた方々に、塾高野球部が目指すものを少しでも感じてもらえたならば有り難い限りであるが、残念ながらその記憶は少しずつ薄れていくだろう。我々が敗戦を経験した翌日に侍ジャパンを3大会ぶりのWBC優勝に導いた栗山英樹監督が「歴史は勝者の歴史なので勝ち切らないと人々に伝わらない」と語った通り、善戦や惜敗では「常識を覆して、高校野球を変える」には至らない。「異端」の存在にある我々の目指す高校野球を「正統」にするために、これからも「チャレンジ」は続く。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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赤松 衡樹(あかまつ ひろき)
慶應義塾高等学校教諭、同野球部長