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【KEIO Report】33年目のニューヨーク学院──2022年度NYSAIS認定報告

2023/04/20

査察を終えた査察団一同
  • 巽 孝之(たつみ たかゆき)

    慶應義塾ニューヨーク学院長、慶應義塾大学名誉教授

2022年11月上旬、私はマンハッタンからハドソン川沿いに1時間ほど北上したモーホンク湖畔のマウンテンハウスに滞在した。ここは南北戦争終了後、1869年にクエーカー教徒の大富豪スマイリー一族が購入した広大な土地を元手に増築に増築を重ね、今や260もの部屋を誇る巨大ホテルである。モーホンク湖(Lake Mohonk)はその語源「宙空の湖」の通り、山頂に位置する。

目的はバカンスではなく、ニューヨーク州私学連盟(New York State Association of Independent Schools、略称 NYSAIS、「ナイサイス」と発音する)が主催する学校長会議。マウンテンハウスは創業者のスマイリー一族の理念に基づき、1883年からアメリカ先住民の人権と自然保護を目的とした会議を定期的に継続してきたことでも知られる。フロンティアの消滅が1890年だから、この連続会議は7年先立つ。当時の参加者リストはロックフェラーら財界人のほかヘイズ大統領やコーネル大学創立者A・D・ホワイトらも含み、先住民の指導者たちを招き人種問題、環境問題を合宿形式で徹底討議したという。

モーホンク・マウンテンハウス

それから140年を経た現在、NYSAISは多様化を極めるニューヨーク州の私立学校の将来を展望する会議を、このホテルで年数回、同じ合宿形式で開いている。同連盟は1947年4月、ブルックリンのパッカー高校校長ポール・D・シェーファーの提案で設立され、同年10月には最初の会合を開き、正式名を決定。49年1月には最初の年次大会が開催された。やがて68年には、ニューヨーク州大学評議会の示唆により規約と理事会を設けて正式な非営利組織として認可され、今日に至るまで国家の介入や規制から完全に独立した、保育園、幼稚園、小・中・高校、高校卒業後(ポスト・グラジュエイト)大学入学以前までを対象とする私学連盟組織として活動。全米私学連盟(National Association of Independent Schools、略称NAIS、「ナイス」と発音する)の設立は1962年だから、発足時点に関してはNYSAISの方がNAISに先んじていたことになる。

私が参加したのは、ニューヨーク州において最近就任した学校長200名ほどが顔合わせする会議。学園財政の運用や学校運営上の心理学と教育学の融合、「感情労働」をめぐるセミナー、昨今話題の「自分らしさをめぐる逆説」(authenticity complex)を検討するレクチャーなど刺激的な企画が目白押しだった。

ちなみに晩餐会の自己紹介では「昨年2021年3月に慶應義塾大学を定年退職した直後に、慶應義塾ニューヨーク学院長職を拝命した」と述べたら満場が爆笑。さらに「2022年元旦に学院長に就任した直後には、10年に一度のNYSAIS査察を受けねばならないことを知らされた」と続けたら、さらなる大爆笑が渦巻いた。

慶應義塾ニューヨーク学院が1990年、SFCと同時に発足した当初から「バイリンガル、バイカルチュラル」の理念を掲げていたことは周知であろう。しかしそれが日本の学校と同時にアメリカの学校としても正式承認されるには、2001年のNYSAIS査察初合格を待たねばならなかった。これによって、学院は日本の高校と北米の高校双方の卒業資格を保証するダブル・ステイタスを獲得したのだ。

以後、学院は長くNYSAIS認定を維持してきたものの、事情を与り知らぬ私には寝耳に水。だが幸い、コロナ禍のため、査察は当初予定されていた3月から10月に延期される。かくして赴任後半年間、多くの教職員のうちでも特に、生徒・生活担当部長で自身がNYSAISの査察委員を務めた経験を持つ佐立謙一氏の助言を得ながら、対策を練った。

具体的には、まず学院初の月刊学院新聞〈Keio Journal〉を6月に、年刊研究紀要〈Keio Research Review〉を9月に創刊。次に土屋大洋常任理事兼学院理事長が提唱した、日米慶應から成る学院の新たな使命「三重文化(トライカルチャー)」を実践するため、北米大学で教鞭を執ってきた旧知の学者批評家を中心に毎月大学水準の講演をしてもらう連続講演シリーズを、10月から開始。さらに、コロナ禍で閉鎖中だった図書室の抜本的な再構築に着手した。

はたして昨年10月末に、ニューヨーク学院はNYSAIS代表査察団六名が到着し、彼らは4日間にわたって滞在。初日には筆者が一種のオリエンテーションとして、日米慶應の環太平洋的交渉史と学院の新たな使命の関連を説明するべく、ミニ講演を行った。北米では慶應義塾のような一貫教育制度が存在しないので、まずはそこから理解してもらわねばならなかったからである。以後、査察団はいよいよ学院の教育内容から職員労働、経営状態、施設環境、理事会や保護者会に至るまで全ての側面を徹底精査し、時に生徒や父兄にまで抜き打ちインタビューを行なっていく。それに対し、学院は理事会から全教職員、生徒会、保護者会までが一丸となって応じた。いわば総力戦である。

そして年を越えた1月17日、学院はNYSAIS合格の朗報を落手。日本唯一のNYSAIS加盟校という栄誉を、今後も維持できることが決まった。

ところで本稿では、NYSAISが対象とする“independent school” をあえて「私学」と訳してきたことにお気づきだろうか。ふつう「私学」の英語は “private school” だが、実はイギリスのパブリック・スクール(public school)も私学である。「慶應義塾」の「義塾」はこの「パブリック・スクール」の邦訳とされる。だがニューヨーク州には、通俗的な公私の二分法を超えて、官僚的な一切の介入と制約に対抗すべく「インディペンデント・スクール」が広範囲に結束する伝統があることは、奇遇としか言いようがない。私は2021年3月の最終講義「慶應義塾とアメリカ」でアメリカ独立革命の立役者フランクリン、超越主義思想家エマソンとソローにまで連なる思想的系譜が福澤精神の「独立自尊」に影響した可能性を検討したが、それこそは福澤的な「私学」の概念の真骨頂であろう。こうした環太平洋的な日米慶應の交点から生まれる新しきものに、33年目のニューヨーク学院は未来を託す。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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