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【From Keio Museums】キャンパスの足元に眠っていた江戸の居酒屋

2023/03/10

三田2丁目町屋跡遺跡 出土遺物
猪口、碗、鉢、徳利
18世紀半ば〜19世紀前半
民族学考古学研究室蔵
撮影:村松桂(株式会社カロワークス)

ミュージアム・コモンズ(KeMCo)が活動する、三田キャンパス東別館の建設にあたって行われた「三田2丁目町屋跡遺跡」の発掘調査では、縄文時代から江戸時代まで、人々とこの地の長きにわたる関わりを示すさまざまな「痕跡」が見つかりました。江戸という大都市の一角であった港区内には、江戸時代の痕跡が至るところに(もちろん地中にも)残っています。考古学というと、もっと古い時代を対象としている、というイメージを持たれる方もいるかもしれませんが、「過去の痕跡」であればいつであろうと、調査・研究の対象となります。発掘では、周辺に多くの大名屋敷が立ち並ぶ町人地ならではの痕跡が数多く発見されました。

江戸後期の調査からは徳利や鉢、猪口、碗など、江戸の食文化に関わる数多くの遺物が出土しました。現在でも馴染みある見た目の器たちですが、これらが作られ使われたのはおよそ200年前のことです。江戸の遺跡からたくさんの食器が出土すること自体はごく普通です。ただこの地では、同文、同形の碗、猪口、皿、鉢がセットとなった揃いの器が目立つ点が特徴的で、さらには「うちた」と刻まれた同じ銘の徳利が多量に出土しました。「うちた」という文字情報を手がかりに文献史料にあたると、三田2丁目に酒屋「内田屋」があったことがわかりました。この地が「内田屋」であったとすれば、揃いの食器の存在は店での食事の提供を窺わせます。この地は、かつて江戸の人々が酒を楽しんだ、居酒屋だったのかもしれません。

KeMCoで開催される「構築される遺跡」展(3月6日~4月27日)では、この「内田屋」を含めた発掘成果とともに、「発掘しなかったもの」にも注目します。開発に伴う発掘調査は、「どの痕跡を対象とするか」という選択をつねに迫ります。裏を返せば、選択/記録されずに失われた痕跡もあったということです。今回は「発掘したもの」が語る「歴史」を紹介しました。一方で、展示では「発掘しなかったもの」が垣間見せる「別の歴史」の可能性についても、みなさんと考える機会にしたいと思っています。

(慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻後期博士課程 岩浪雛子)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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