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【KEIO Report】慶應義塾大学のスタートアップ育成

2022/09/08

  • 山岸 広太郎 (やまぎし こうたろう)

    慶應義塾常任理事

5月18日の日本経済新聞朝刊に「大学発の起業、慶応が最多 経産省21年度調査」という記事が大きく掲載されました。記事の本文はこう続きます。

「大学発スタートアップが1年間に200社新設され、累計で2300社を超えたことが経済産業省の2021年度調査で分かった。増加数は慶応義塾大が首位で、大学系ベンチャーキャピタル(VC)が起業を支援した」。

従来「ベンチャー企業」と呼ばれていた新興企業は、成長を志向しないスモールビジネスや成熟した中小企業と区別するために、短期間で急成長を目指すという意味を込め「スタートアップ」と呼ばれるようになってきました。政財界も社会的課題の解決を図りながら経済成長を図る担い手としてスタートアップに期待をしており、7月4日には政府にスタートアップ支援の担当大臣を設けることを発表するなど、「スタートアップ」という言葉がニュースになることが増えています。

上記の経済産業省の2021年度の「大学発ベンチャー実態等調査」では、慶應義塾大学発ベンチャーは前年度の90社から175社へと増加し、増加数で全国1位、総数でも前年度の10位から5位へと大きく躍進しました。実はこれは1年で85社の慶應義塾大学発ベンチャーが誕生したということではなく、経産省のアンケートに対して、従来慶應義塾が把握していた狭義の研究成果ベンチャーだけでなく、経産省が指定した広義の大学発ベンチャーの定義に従って、共同研究や技術移転、学生ベンチャー、関連ベンチャーなどをしっかり調査を行った結果、過年度までに設立されていたスタートアップが集計に加わり、175社に増加したということです。

慶應義塾では、研究成果の社会実装をスタートアップを通じて推進すべく、スタートアップの育成を資金面や経営面で支援するベンチャーキャピタルとして2015年12月に株式会社慶應イノベーション・イニシアティブ(KII)を設立しました。KIIでは金融機関等の外部の投資家から資金を集め、合計約150億円の2つの投資ファンドを運用しています。慶應義塾大学を中心とする国内外の大学等の研究成果を活用したスタートアップ40社に投資を行い、3社が東京証券取引所グロース市場に上場するなどの成果が出ています。

慶應義塾大学にとってスタートアップの育成が重要な理由は2つあります。1つは慶應義塾の目的である全社会の先導者としての理想の追求のためです。起業家精神を発揮し、困難を乗り越え、新しい分野を開拓していくのは慶應義塾の設立以来の伝統です。従来から慶應義塾は経済界に多くの経営者を輩出してきました。特に1990年代後半から2000年代前半にかけてのインターネット黎明期にはSFCを中心に慶應義塾大学から多くのベンチャー企業が生まれ、業界のリーダーとなっている企業が沢山あります。全社会の先導者であり続けるために、大学としてスタートアップ育成はますます重要になっていきます。

もう1つの理由は、大学に対する社会的な要請の変化です。従来、大学の社会的使命は教育と研究と言われてきましたが、今は更に教育や研究の成果をもとに社会貢献を行うことが求められています。2007年の学校教育法の改正でも、大学の目的として教育・研究の成果を広く社会に提供することで、 社会の発展に寄与するとの条項が追加されました。そして、その社会貢献の1つとして大学におけるスタートアップの育成が強く求められているわけです。

大学におけるスタートアップの育成には2つの柱があります。1つはアントレプレナー教育、もう1つが研究成果活用型ベンチャーの育成です。

アントレプレナー教育というのは、すぐにスタートアップを設立することを目指す教育ではなく、資金やリソースなど様々な制約がある中で、どのように問題を発見し、解決していくかという起業家精神を養う教育です。できるだけ多くの人にアントレプレナー教育を受けてもらい、その中から10人に1人でもスタートアップを設立するようになれば、スタートアップの数が増えていくという、長い目で見た母集団形成を行うスタートアップ支援の取り組みです。

研究成果活用型ベンチャーの育成はもっと直接的です。研究者が特許や技術ノウハウなどの大学で生まれた知的資産をもとに、社会課題を解決するために、スタートアップを設立し、商品やサービスを開発し、事業化していくことを支援する取り組みです。具体的には事業計画の作成や創業メンバーの募集、資金調達などを支援し、製品開発のために当該ベンチャーと大学との共同研究の推進なども行っていきます。

今まで慶應義塾大学では、各学部・研究科でアントレプレナー教育は幅広く行って来ましたが、研究成果活用型ベンチャーの育成に関しては大学として十分な体制を用意できず、主に研究者の自助努力に頼ってきました。今後は組織的に大学としても支援体制を構築していく必要があるという認識のもと、大学イノベーション推進本部にスタートアップ部門を設立し、今年3月に部門長として新堂信明特任教授が着任しました。新堂さんは大手製薬会社の研究開発部門を経てスタートアップやアカデミアとのオープンイノベーションを推進するお仕事をされており、大学発ベンチャーの育成を支援するのにふさわしい経験をお持ちです。現在、スタートアップ部門では実務家教員の募集を行っており、年内に4、5名の専従体制を構築することを目指しています。

政府や自治体、各種団体や民間企業、卒業生など多くの方々から、慶應義塾大学のスタートアップ育成を支援したいというお声がけをいただいていますが、今までは義塾として受け付ける窓口がありませんでした。また、塾内の研究者からも起業にあたってどこに相談すればよいのか分からないという意見をいただいていました。今後は、イノベーション推進本部で塾内外からのご提案やご相談にワンストップでお答えし、慶應内外の力を結集して、大学別のスタートアップ数で全国3位に入ることを目指していきます。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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