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【From Keio Museums】戦前の東京六大学野球リーグ戦チケット

2022/07/11

現在慶應義塾史展示館で開催中の「慶應野球と近代日本」展(〜8月13日)の準備で、神宮球場での熱戦を伝える様々な資料を探索した。地味だがチケットの半券もなかなか奥深い。

①昭和5年秋(福澤研究センター蔵)

①は、慶應義塾福澤研究センターが所蔵する最も古いチケットの1つ。「昭和五年秋期 野球試合入場券」「六大学野球連盟」としか書かれていない。まず対戦。上部の「AWKB」に注目すると中央のWKが早稲田と慶應、つまり早慶戦を意味し、先頭のAはAutumn(春はS)。末尾のBがナゾだったが、最近見つかった動画で三田の掲示板にチケットの説明が貼られているのを見つけ、これが「第1回戦外野席」を示していることが判明した。従って昭和5年10月18日、一塁側(当時は三塁側固定ではない)外野の慶應学生応援席とわかる。

②昭和八年秋(福澤研究センター蔵)

②は、「昭和八年秋」「慶大対早大 第三回戦」「一塁側内野」である。ピンと来る方は、なかなかの野球通だ。これはあの有名な「リンゴ事件」が発生した昭和8年10月22日の慶應側応援席だ。「六」がなく「東京大学野球連盟」とあるが、脱字ではない。「東京六大学野球連盟」は昭和7年、野球の「純化」を主張する早稲田大学野球部の連盟脱退で、名称をこのように変更した。早大はすぐに復帰したが、そのままこれが正式名称となった。当時の東大は「東京帝国大学」なので不都合はなく、その略称が「T.U.B.B.L.(Tokyo University Base Ball League)」である。

③昭和十七年秋(山内慶太氏蔵)

③は「昭和十七年秋期」「慶大対早大」「十月二十四日(土)」「外野」とある。これには早稲田野球部の印があるので一塁側。何回戦という表記がないのは、野球が敵性スポーツとして弾圧され、当時はリーグ戦が一本勝負(各対戦一回のみ)に制限されたため。そして翌春には連盟が文部省から解散させられる。これは公式戦における「最後の早慶戦」のチケットなのである(有名な学徒出陣壮行の「最後の早慶戦」は翌年10月の非公式戦)。

すぐに棄てられてしまいがちな小紙片でも、多くの歴史を物語る。コロナ時代のコンビニ発券も、時代を映す資料になるだろうか。そう思って、資料に加えておこうと考えている。

(福澤諭吉記念慶應義塾史展示館副館長 都倉武之)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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