【その他】
【社中交歓】松
2022/05/26
「おそ松くん」が出発点
赤塚不二夫のもとに、週刊「少年サンデー」の編集部から原稿の依頼があったのは1962年の春だった。赤塚26歳、まだ駆け出しの頃だ。連載4回。これまで2回が最高だったが「どうせ4回じゃないか、思いっきり暴れてやる」と意気込んだ。
主人公は6つ子。おそ松を筆頭にトド松、チョロ松、十四松……、いずれも「松」がつく6人。いたずら盛りの、双子どころか6つ子が繰り広げるドタバタ劇。赤塚が「日本初のギャグ漫画」と言い放った「おそ松くん」の誕生だった。
6つ子という意外性とアイディアの奇抜さ、テンポの良さ、これが受け、連載は4回どころか69年春まで7年ものロングランを記録するのである。
赤塚は勢いに乗り「ひみつのアッコちゃん」「もーれつア太郎」「天才バカボン」……、とヒット作を連発し、ギャグ漫画家の地位を不動のものとした。2015年、成長し大人になった「おそ松くん」を主人公にしたアニメ「おそ松さん」が人気となった。
「おそ松」は「お粗末」どころか大木になったのだ。
ハンドボールと松脂
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上西 啓之(うえにし ひろゆき)
三田ハンドボール倶楽部会長・1980商
松脂は滑り止めとして野球のロジンバッグやバレエシューズに、また弦楽器の弓に使われることでも有名だが、実はハンドボールでも滑り止めとして古くから使用されている。今でもオリンピックや世界選手権などに出場する選手たちも使用しているようなので、その効用が顕著であることは間違いない。
高校生以上の男子用ハンドボールは直径が約19センチと片手で掴めるサイズだが、練習や試合中は汗で滑るので松脂を使うことになる。ハンドボールで使う松脂は黄金色で「ドロッ」とした濃い蜂蜜、という感じ。ボールを投げる方の、主に人差し指、中指にちょいと付ける程度が肝心だ。
現役当時、手に唾を付けて屋外で練習。使用が許される体育館での試合の時だけ松脂を使った。ボールが滑らないので、上手くなった錯覚を楽しめたのも松脂の良い思い出だ。試合後は乾いて変色した松脂で両手は真っ黒。石鹸では取れないのだが、誰が発見したのか、サロメチールを塗るとあっという間にきれいになる理由はいまでも不明である。
いつもの日々を“まつ”
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宮南 譲(みやなみ ゆずる)
松葉屋株式会社代表取締役・1994法
松葉屋の前身は「天満屋(てんまや)」という江戸時代から続く味噌屋でした。積荷の間違いから偶然に取り扱うこととなった松茸が、いまでは屋号となっています。1976年5月に東京赤坂の地に創業し、おかげさまで50年近く。松茸は、その名の通り松の根元に生育する茸。50年なんて不老長寿の象徴とされる松からすれば一瞬のできごとかもしれません。
松といえば百人一首に「立ち別れいなばの山の峰に生(お)ふる まつとし聞かばいま帰り来む」(中納言行平)という歌があります。転勤の別れを惜しむ歌ですが、いなくなった人や動物が戻ってくるようにというおまじないともなっているそうです。
コロナ禍がはじまりはや2年。松からみれば一呼吸の間かもしれませんが、我々人間にとっては長い時間となりました。赤坂の街も、一時の賑わいを取り戻すにはまだまだの感ですが、冬でも青い葉を付け続ける松のように、皆様が安心して松茸をお楽しみいただける日が早く戻ってくることを「まつ」ていますと、この場を借りておまじないをしてみます。
三保松原の三つの顔
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住吉 昂太(すみよし こうた)
株式会社Otono 取締役・2015環
みなさんは静岡県静岡市清水区に存在する「三保松原(みほのまつばら)」をご存じでしょうか。日本三大松原の一つであり、2013年に富士山の構成資産として世界遺産に登録された景勝地です。約7kmの海岸に約3万本の松が生い茂り、松林の緑、打ち寄せる白波、海の青さと富士山が織りなす風景は日本でも「ここにしかない」存在です。
その景色を「見て楽しむ」はもちろんのこと、古来より富士山信仰のある日本人の心を掴み、歌川広重の浮世絵や数々の絵画・和歌に表現されてきたことから、「信仰の対象と芸術の源泉」とも呼ばれている、文化的な場所でもあります(実は世界遺産にも「自然遺産」ではなく「文化遺産」として登録)。
一方、地元の学生の遊び場や、マラソン大会や運動部のランニングコース等、日常に同居した空間にもなっており、私にとっても小さい頃は「遊び場」でした。「景勝地」であり「芸術の源泉」であり「遊び場」でもある、様々な顔を持つ三保松原へ、ぜひ一度お越しになってはいかがでしょうか。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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山口 孝(やまぐち たかし)