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【From Keio Museums】『知譜拙記』2巻および附属資料「東園基量像」
2022/04/12
古筆家(こひつけ)は、代々筆跡鑑定を職業とした家です。彼らは、古い筆跡の鑑定や、欠けた本を切断し、美術品として再生させた古筆切(こひつぎれ)の制作に携わりました。センチュリー赤尾コレクションには、江戸初期から昭和期まで、300年の活動を通じて、古筆家に集積した膨大資料や記録がまとまって存在しています。現在斯道文庫において、佐々木孝浩教授を中心に整理作業が進められていますが、その学術的な価値は計り知れません。その中から、今回は、古筆家が実際に使用した唯一無二の資料を紹介します。
「知譜拙記(ちふせっき)」は、公家の系図集で、近代までよく参照されました。下巻末に書き込まれた安政4年(1857)の筆跡は、古筆家12代の了悦(りょうえつ)(1831–94)によるものと考えられ、使い込まれた様子から、鑑定活動の中で愛用されていたことが伝わります。また、公家東園基量(もとかず)(1653–1710)の像が、栞として挟まっています。基量像は、東山天皇の即位式(1687年)に出席した際の礼服姿で、儀式に関わる資料としても貴重です。江戸時代はさまざまな分野で鑑定文化が花開きました。古筆家の資料には、絵師等の落款印章を集めた「画院印鑑譜」も含まれています。
江戸時代、絵画の鑑定は狩野家が主導していましたが、この資料によると、了悦の頃には、古筆家も絵画の鑑定を担っていたようです。狩野探幽の項目には、探幽作成の極札が挟み込まれていました。古筆家の人々が、狩野派について、同業者としての関心を向けていたことが分かります。
古い書画の筆者を特定することは困難で、必ずしも鑑定の結果が真実とは限りません。しかし、鑑定結果には、鑑定家の研究に基づく法則があり、そこに往事の視点を読み取ることができます。また、職務の中で蓄積された模本類は、今は現存しない書画の存在を教えてくれます。鑑定文化を深く知ることで、江戸時代の書画をめぐる豊かな活動を、鮮やかに想起することができるのです。今回ご紹介した資料は、慶應義塾ミュージアム・コモンズの春の展覧会で展示されます。
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(慶應義塾ミュージアム・コモンズ 松谷芙美)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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