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【Keio Report】 "A Message of Farewell to Nakatsu" by Fukuzawa Yukichi: Multilingual Edition(「中津留別之書」──多言語で読む福澤諭吉)の発刊

2021/07/14

(発行:慶應義塾福澤研究センター 西澤直子、アルベルト・ミヤンマルティン編、A5判上製、234頁)
  • 西澤 直子(にしざわ なおこ)

    慶應義塾福澤研究センター教授

  • アルベルト・ミヤンマルティン

    慶應義塾大学経済学部准教授

「中津留別之書(なかつりゅうべつのしょ)」は、明治3年11月27日(西暦1871年1月17日)に、福澤諭吉が青年期を過ごした旧宅で執筆した、ふるさと中津の人びとに向けたエッセイです。今回、英語、ドイツ語、オランダ語、スペイン語、ポルトガル語、フランス語、イタリア語、ロシア語、アラビア語、ベトナム語、中国語、韓国語、そして現代日本語の13の言語への翻訳を試み、英語と日本語で執筆背景や翻訳上の課題に関する解説と年譜を加え、1冊の本にまとめました。各翻訳は、日本研究に取り組まれているネイティヴの方にお願いしました。様々な言語の形を楽しみ、また翻訳の妙を味わっていただくとともに、福澤の思想に関する議論の出発点にもなればと思っています。

「中津留別之書」は3,500字程度の短い文章ですが、明治維新という大きな変革の中で新しい時代をどう生きるべきかについて、一身の独立や自主自由、男女の平等、親子の双方向性、政府の役割と「平民」との関係性から説き、洋学を学ぶことの重要性を述べています。

福澤は直接的な海外見聞に加えて、多くの文献に学び、慶応2(1866)年から明治3年にかけて、西洋文明を紹介する『西洋事情』を著しました。その間に大きな政治体制の変化を経験し、近世的な枠組から離れ、新たな思惟体系を確立していきました。「中津留別之書」はまさにその時期に、明確に読者を意識し、フランシス・ウェーランドの強い影響を受けながらも、彼自身の言葉で自らの社会構想を述べた最初の書と位置づけることができます。

福澤は明治になって、長い間中津と江戸にわかれて暮らしていた母を、東京に呼び寄せようと考えました。ところが、計画は思うように進みません。よくよく聞いてみると、中津には福澤が戻ってくれば大出世するという噂がありました。福澤はいまだに「門閥」を意識している中津の士族たちに、愕然とします。そこで自ら母を中津に迎えに行くとともに、旧友たちに新しい社会についてのメッセージを残したのです。「中津留別之書」における主張は、その後彼の生涯を貫くことになります。いわば彼の思想の本質といえ、ここから『学問のすゝめ』をはじめ、代表的著作へと展開していきます。そこでかねてから、研究者に止まらず、多くの方にこのエッセイを読んでいただきたいと考えていました。

一方で、ケンブリッジ大学の故カーメン・ブラッカー教授や、ハーバード大学のアルバート・クレイグ教授が熱心に福澤研究に取り組まれていたのに比べて、近年海外における福澤研究が停滞しているのではないか、特に若い研究者に関心が持たれなくなってきているのではないかという危惧がありました。近代日本を研究する者にとっては避けることができない思想家ではあるが、福澤自身のテクストには関心がなく、日本の研究者が構築した福澤像で事足りると考えられているのではないかという思いです。

そこで「中津留別之書」を、多言語で出版することを思いつきました。慶應義塾では海外からの来客や塾から海外に出張される際に、お土産として英訳『福翁自伝』が準備されています。『福翁自伝』は内容が面白いですが、かなり厚く、また英語のみですので、多言語に訳された「中津留別之書」を1冊にまとめれば、お土産として利用価値があり、出版を助成していただけるのではないかとも考えました。2つ以上の言語で読むことが出来る方には、比較も楽しむことができます。

実は最初に思いついたのは、2008年のことです。東京国立博物館で開かれた「未来をひらく福澤諭吉展」で、冒頭部分のみ5カ国語で訳したパネルを作りました。しかしその後は構想しているだけで遅々として進まず、そこへ2018年にミヤンマルティンさんという優秀な協力者を得て、漸く今年完成しました。

*  *  *

西澤さんから「中津留別之書」を多言語に訳す企画の話を初めて聞いたとき、どれほどの「多言語」に訳すかが大きな課題でした。原稿が完成または作成中の言語にスペイン語・オランダ語・ロシア語を加え、あとは欲を言えばきりがないので、とりあえずは一定数の世界主要言語が集まったと心が落ち着き、上梓に向けて準備を進めることにしました。それでも、日本語のほかに文字体系が異なる12もの外国語を扱う作品となり、慶應義塾大学出版会の片原良子さんと一緒に「編集」という格闘を経て、念願の出版に至るまでは長い道のりでした。

もちろん、それ以前の段階で訳者全員が取り組んだ「翻訳」という作業も大変だったに違いありません。福澤は、西洋文明の基礎知識や近代的な民主思想を日本に導入するために、当時の日本人が理解して納得できるような形で日本語の意味を変え、最初の段階では古い文化的背景と完全に断絶しないまま、社会の進歩を目指したことは特徴的です。その中で、「夫婦の別」や「君臣の義」など五倫の再解釈とその訳し方に目を引かれます。西欧語の訳語である「自由」は、当時なら類義語の「我わ がまま儘」と一線を画しながら紹介されているので、各言語において微妙に異なる言説を生み出す結果となり興味深いです。

一方、「国」と「天下」の訳出がprovince/nation とcountry/world と真っ二つに分かれたり、「人間(じんかん)交際」の訳語選択が多種多様になったりして、翻訳の差異は原語の真意を考え直すきっかけを与えてくれます。「士農工商」の訳し方も簡単そうで実は複雑で、直訳や敷衍が見られる中、フランス語版の意訳を読めば目から鱗が落ちます。英語版等の緻密な訳注や巻末の解説を手掛かりに原文と各訳文の比較を行えば、福澤の根本思想を再考察しながら翻訳の醍醐味を味わえることが本書の魅力でしょう。

(問い合わせ先: www.fmc.keio.ac.jp

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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