【その他】
あたらしいミュージアムをつくる: 慶應義塾ミュージアム・コモンズ
第7回 新しい景色の創造が紡ぎ出す連想のネットワーク──ミュージアム・コモンズ
2021/04/08
大学ミュージアムの雑多性
大学ミュージアムの特徴の1つは、収蔵品が、必ずしもあらかじめ定められたコレクション・ポリシーに従って意識的に蒐集されてはおらず、むしろ大学が研究・教育活動を展開する過程で、研究資料としての購入や卒業生による寄贈など、さまざまな理由で集まってきた雑多な集積であるということではないだろうか。このことを昨年、慶應義塾ミュージアム・コモンズ(KeMCo)が『慶應義塾名品撰』を編集した際にあらためて認識した。『名品撰』は、義塾の文化財の中から国宝・重要文化財をはじめとして絵画、彫刻、書籍、考古資料、建築など100点を厳選し、新たに撮影した写真とともに解説した、初めてのヴィジュアル・コレクション・ブックである。その刊行によって、義塾が所蔵する文化財の全体を初めて俯瞰することができたが、じつに多彩な収蔵品の背景には、総合大学としての多様性と中立性が存在している。つまり、国宝の秋草文壺や西洋初の活版印刷本『グーテンベルク聖書』も、泉鏡花がコツコツと集めたうさぎのコレクションも等しく保管し、あるいは福澤諭吉がアメリカ土産として持ち帰った乳母車だけでなく、瀧口修造がメモ代わりに使用したパリのカフェのコースターにも、優劣なく文化史的価値を見出して収蔵し、アーカイブするのが大学である。
もちろん大学ミュージアムの中にも、早稲田大学の坪内博士記念演劇博物館のように、特定の領域に限定して積極的にコレクションを充実させている館も少なくない。しかし、慶應義塾の場合、そのコレクションは、1世紀半以上にわたる購入や寄贈の歴史を反映して、多様性と雑多性に強く彩られている。
こうした雑多性は、歴史ある大学のミュージアムに共通する特徴である。世界最古のミュージアムは1683年に開館したオクスフォード大学付属のアシュモレアン博物館であるというのが通説だが、そうだとするとアシュモレアンは大学ミュージアムとしても世界最初となる。そのコレクションは、ジョン・トラデスカントという17世紀の好古家が蒐集した「驚異の部屋」を出発点とする。今でも同館地下一階に陳列されているトラデスカントのコレクションは、東西の雑多でエキゾチックな骨董や珍品の集まりである。こうした起源を反映してか、現在のアシュモレアンも、9世紀のアルフレッド大王の時代に制作されたキリストの姿を水晶と七宝でかたどった金の宝飾品や、イタリア・ルネサンスを代表する画家パオロ・ウッチェロの《狩り》など、世界的に重要な美術品が展示されている一方で、18世紀にグランド・ツアーでローマへ旅したイギリス人貴族が購入してきた古代ローマ彫刻の贋作もギャラリー入口に設置されていて、多様性に満ちている。
オクスフォード大学は、他にも自然史博物館、考古学と人類学のピット・リバース博物館、そしてボドレアン図書館を有し、世界中の珍品の世話をまかされていて、こうした多文化的な蒐集が大学の研究・教育活動と常に密接に関わってきたことを示している。慶應義塾も、オクスフォード大学に似て、大学の歴史の中で蓄積された多様な文化財を、一貫教育校を含む複数の部門で分散して保管、展示する、1つの「分散型ミュージアム」と形容できる。
蒐集にともなう文化財の移動
当然ながら、蒐集という行為はものの移動をともなう。文化財の可動性はジャンルによって異なるが、書物や工芸品、装飾品ならば、寄贈や購入によって移動することは当たり前で、むしろ前提とされているといってよい。一方で近代初期までの西洋絵画の場合は、教会や公共建築のための壁画やあらかじめ特定の居室の調度品として注文された絵画など、動かされることを想定していないものも多い。さらに、建造物となると、記念碑から教会にいたるまで、移動は想定されておらず、むしろ景観の一部として最初から設計されていることも少なくない。
しかし、文化財の現状を見ると、ジャンルを問わず、長い歴史の中で移動が繰り返されてきたことは明らかである。ローマのサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂に隣接する建物のなかには、スカラ・サンタという大理石の階段があるが、これはもともとエルサレムのポンティオ・ピラトの館にあって、イエスが裁判のために上った階段であると語り伝えられている。また、同じくイタリアのロレートには、聖母マリアがナザレで住んでいたとされる家があるが、これは13世紀に天使によって海を越えて運ばれてきたとされる。こうした伝説の真偽はともかくとして、教会の壁画やステンドグラスでも、建物の解体や破損などの理由で今は博物館に収まっている例は少なくないし、また、ニューヨークのメトロポリタン美術館の中世美術分館(クロイスターズ)のように、フランスにあった中世の修道院を実際に解体して移設したケースもある。文化財として認識されてしまうと、移動はほぼ宿命であるといえるかもしれない。KeMCoの中核をなすセンチュリー赤尾コレクションも、またさらには慶應義塾全体のアートコレクションもそうした移動の結果集まってきた。KeMCoは集積された文化財に人工的な空間を提供し、新たな文脈の獲得を助ける「空き地」である。
しかし、KeMCoは、すでに慶應義塾各所で保管され、あるいは社中交歡萬來舍や塾監局でさりげなく展示されている文化財を、破損が目立つなどの理由で避難が必要なケースを別にすると、さらに1カ所に集めることはしない。『名品撰』でも1つのセクションを割いて取り上げているように、三田や日吉、信濃町には歴史的な建築物も少なくない。特に三田キャンパスは、重要文化財の演説館、図書館旧館をはじめとして、曾禰中條建築事務所や槇文彦が設計した趣のある建物が並び、総合大学のメインキャンパスとしてはこぢんまりとした広さであることが幸いして、キャンパス全体がすでにミュージアムである。KeMCoはキャンパスのすぐ外の桜田通り沿いに位置して、塾監局前庭園を挟んで図書館旧館や塾監局といったキャンパスの歴史的建築物と対峙するが、その位置は、三田の山というミュージアム空間を大学の外へとつなげてゆくことを象徴的に表している。KeMCoは「分散型ミュージアム」のハブとして機能し、文化財の多様性に目を向けて、それを大学ならではの連想力で広くつなげてゆくことを理念とする組織である。
交わりがつくりだす新しい景色
開館記念展示も、「交景:クロス・スケープ」というタイトルが示すように、文化財が交わり、さらに文化財を通じて人が交わることで、新たな景色が生まれることを目的としている。展示は「文字景──センチュリー赤尾コレクションの名品にみる文(ふみ)と象(かたち)」と「集景──集う景色:慶應義塾所蔵文化財より」という、互いに連携する2つの企画で構成され、ミュージアム・コモンズのオープンを契機としてKeMCoという新たな空き地に集まってきた、センチュリー赤尾コレクションと慶應義塾ゆかりの文化財の交流の始まりを祝っている。また、日本の文字のかたちに焦点を当てた「文字景」展に呼応して、分散型ミュージアムの1つである図書館展示室では、図書館の洋貴重書を使って「(西洋)文字景──慶應義塾図書館所蔵西洋貴重書にみる書体と活字」展が開催される。文字は単なる記号ではない。時代や用途に応じて変化してきた書体や筆跡を、1つのイメージとしてつぶさにみることは、たとえば、それを書くのに用いられた、筆や羽ペンなどの筆記具へと興味を広げ、さらに、東別館8階のKeMCo StudI/O(ケムコ・スタジオ)のために、慶應義塾出身のアーティスト大山エンリコイサム氏が新たに制作した作品、《FFIGURATI #314》へとつながってゆく。このアートワークは、大山氏がエアロゾル塗料をつかって、支持素材(この場合はカーテンや柱)に直接触れることなく書いた「文字」とも解釈可能である。また、5月には、書物を一つのアートとみなすことで見えてくる文化的風景をテーマとして、国際シンポジウム「本景(ブック・スケープ)──書物文化がつくりだす連想の風景」が開催される。文字をめぐる連想はさらに加速してゆくだろう。
実際に展示品を間近に見て、そのオブジェクトとしての質感を感じる体験は、東別館から三田キャンパスの外へと、今度はヴァーチャルに展開してゆく。KeMCoが提供する塾収蔵文化財横断検索サービス──「慶應オブジェクト・ハブ」(KOH)──を介して、他地区の「分散型ミュージアム」の文化財、さらには世界中のオブジェクトへと連想の網は広がってゆく。大学ならではの雑多で多様な文化財をフィジカルに辿り、それらに学術的に意味づけを与え、それをデジタルな連想の網目を活用して1つの動的なコンテンツとして発信し、世界中からフィードバックをもらいつつ更新を繰り返す、そのように次々と新しい景色を開いてゆくためのマトリックスを提供することがKeMCoの使命である。
ついに扉を開く慶應義塾初のミュージアム、そして世界初のミュージアム・コモンズへのフィジカルな、そしてデジタルな来館を心よりお待ちしています。
(本連載は今号で終了します)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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松田 隆美(まつだ たかみ)
慶應義塾ミュージアム・コモンズ機構長、文学部教授