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【Keio Report】『論語疏』──中国6世紀写本の出現と公開

2020/11/23

  • 佐藤 道生(さとう みちお)

    慶應義塾大学名誉教授

去る10月7日から13日まで、東京丸の内の丸善本店4階ギャラリーで第32回慶應義塾図書館貴重書展示会が開催された。今回のテーマは「古代中世 日本人の読書」で、室町時代以前の日本人が中国伝来の漢籍をどのように学んだのかということに焦点を当てたものであった。その展示書百点の最初に置かれたのが、ここに紹介する中国6~7世紀書写の『論語疏(ろんごそ)』巻6である。この写本については、義塾が本年9月10日付のプレスリリースで「慶應義塾図書館が『論語』の伝世最古の写本を公開」と題して発信し、その後、朝日新聞、読売新聞、NHKでも同様の報道がなされた。それゆえ丸善の展示会場に足を運んで実物を御覧になった方もおられると思うが、展示会の監修者の立場から、あらためて本書の概要、資料的価値、公開の経緯などを簡単に説明することにしたい。

『論語疏』は魏の何晏(かあん)の『論語集解(しっかい)』を梁の皇侃(おうがん)(488~545)が再注釈した書で、正式には『論語義疏(ぎそ)』と呼ばれる。書名の「疏」とは注釈をさらに注釈する意。孔子の言行を記録した『論語』は断片的な記述から成っているため、古来その内容を理解するには注釈書を必要とした。中国ではこれまで無数の注釈書が著されたが、何晏の『集解』は宋代に朱熹の『論語集註(しっちゅう)』が現れるまで、古注(漢~唐に成立した注釈書)の代表として最もよく読まれた書であった。ただ『集解』にも解釈に不足の点があったため多くの疏(何晏注の注)が作られ、その中で最も評価を得たのが皇侃の『義疏』である。

『論語義疏』は勿論日本にも将来された。平安前期(9世紀末)に作られた宮中の漢籍目録『日本国見在書目録』にその名が見え、また南北朝から室町時代にかけて(14~16世紀)の古写本30点余りが日本国内に現存している。ところが、こうした日本に於ける現存状況に反して、中国では宋代に入って程なく『義疏』は姿を消してしまったのである(消滅した理由は紙数の関係で省く)。

今回公開された『論語疏』写本は、その書法、書式、料紙などから中国の南北朝から隋にかけての時期に書写されたものと認められる。麻紙による料紙二十枚を継いだ巻子装一軸から成り、『論語』二十篇の内、子罕・郷党の二篇を収める。本写本がいつ頃日本に将来されたのか。その時期を推測する手掛かりとなるのが、錯簡を防ぐために料紙の継ぎ目に捺された2種類の縫印である。1つは「藤」の印文を持つ平安前期(9世紀初め)の藤原氏所用印であり、今ひとつは印文不明だが、「藤」印に先行するものである。したがって本写本は奈良時代或いはそれ以前(7~8世紀)に日本に将来されたものと推測できよう。

さて、本写本の価値は奈辺にあるのだろうか。私見では次の3点に集約できるように思う。第1に、伝世の書としての古さである。伝世とは人の手から人の手へと受け継がれて伝わった意である。出土品であれば、これよりも古い『論語』の写本が中国や北朝鮮に現存するけれども、伝世品でこれほど古いものは他に見当たらない。隋以前の写本の現物であること自体に大きな価値が認められるのである。尚、本写本は全体の10分の1しか存していないものの、その内部には『論語』の経文、『集解』の注文を全て含んでいる。したがって『義疏』の最古写本であると同時に『集解』の最古写本であり、また『論語』の、出土品を除いての最古写本と称することができる。

第2に、『論語義疏』の原本に極めて近い本文(テクスト)を持っていることである。先に述べたとおり、日本には『義疏』の南北朝・室町期写本が数多く現存している。これらの写本と本写本とを比較してみると、本文異同が幾つか見出される。これは皇侃が『義疏』を著してから日本の南北朝・室町期まで1000年近い年月が経っており、その間『義疏』が転写される過程で『義疏』以降の注釈などの不純物(解釈には役立つが本来の『義疏』には無かった本文)が僅かながらも竄入(ざんにゅう)したことを暗示している。一方、本写本は『義疏』成立後数十年しか経ておらず、皇侃の原本に極めて近い本文を有していると思われる。両者の比較を通して『義疏』の原姿が明らかになると同時に、『論語』注釈の展開を跡づける手掛かりが得られるに相違ない。

第3に、書式面に於いても原初形態を保持している点である。本写本には経・注・疏それぞれの本文が混在しているが、文字は全て同じ大きさで書かれている。経・注・疏をどのように区別しているかと言えば、経文には朱筆で傍点を付し、注文には起点の右肩に朱の鉤点を付し、疏文には起点の右傍に朱で「三」のような符号を付することで、三者を区別しているのである。これが後代になると、室町期写本などでは経文を大字で、注文を経文より一格下げて大字で、疏文を小字で書写するという書式に改変されている。これは三者を一見して区別できる書式であり、後代に読者の便宜を図って行った措置である。書式の改変がなされた時期は不明だが、『義疏』本来の書式が本写本の出現によって明らかになったのである。

最後に、本書が公開されるに至った経緯について触れておこう。都内の古書店から『論語義疏』の古写本を仕入れたとの連絡のあったのが2016年3月のこと。そして、本書がめでたく慶應義塾図書館に収まったのは翌年2月のことだが、そこに至る道のりは必ずしも平坦なものではなかった。それでも何とか収蔵にまで漕ぎ着けることができたのは、次の3つの要素が偶々(たまたま)揃った結果であったと思う。第1に、図書館(当時の館長は赤木完爾法学部教授)が本書を貴重な文化財であると認め、購入の英断を下してくれたこと。第2に、義塾出身の古書店主(名前は出してくれるなとのことなので伏せる)がこのような書は公共の研究機関に収蔵されるのが望ましいとの持論から、破格の安価で譲渡してくれたこと。第3に、塾内に住吉朋彦斯道文庫教授・種村和史商学部教授を中心とする共同研究体制が整えられていたことである。これらの内1つでも欠けていたならば、本書が今回の図書展示会の目玉として公開されることはなかったであろう。三重の僥倖を喜びたい。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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