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第5回 慶應義塾のオリンピアンたち/ソッカー部

2020/11/10

右近徳太郎(昭和12 年法学部 政治学科卒業アルバムより)
  • 横山 寛(よこやま ひろし)

    慶應義塾福澤研究センター研究嘱託

戦前最高クラスの天才プレーヤー

アメリカワールド・カップ予選におけるドーハの悲劇、アトランタ五輪のマイアミの奇跡、直近ではロシアワールド・カップのロストフの悲劇も加わるなど、日本サッカーでは象徴的な一戦がしばしば語り継がれてきたが、そのはしりとも言うべき出来事が、1936(昭和11)年ベルリン五輪でスウェーデンに勝利した「ベルリンの奇跡」である。この「奇跡」に大きく貢献した選手のなかに1人の塾生がいる。当時法学部政治学科3年の右近徳太郎(うこんとくたろう)である。この不世出のプレーヤーをソッカー部の歴史と共に振り返りたい。

日本におけるサッカーのルーツ校は東京高等師範学校で、明治35(1902)年に始まり、中学校を中心に普及していったとされる。大正10(1921)年のブルー・サッカー倶楽部を起源とする塾のサッカーは後発であった。その後、慶應アソシエーション・フットボール倶楽部として活動し、昭和2(1927)年体育会に加入、ソッカー部が誕生している。サッカーは当時一般に「ア式蹴球」と呼ばれ、塾でもその名称を使うつもりでいたが、体育会にはすでに蹴球部(ラグビー)が存在し、紛らわしいとして使うことが出来なかった。そこでassociation footballの俗語であるsoccerから「ソッカー部」とした。この聞き慣れない名称はサッカーよりも「ソッカー」の方が実際の発音に近いという初代主将・浜田諭吉の決断に由来している。浜田は中学時代までプレー経験がなく、選手としてはお世辞にも上手とはいえないと評されるが、ドイツ代表初代監督を務めたオットー・ネルツの著書fussball を自ら独学で翻訳してプレー方法を研究した。こうしてソッカー部の理論的な指導者となり、その基盤を築き上げたのである。選手たちは訳稿を回覧してその体得に励み、これを武器として先進校を追いかけた。

そして徐々にトップに君臨する東大、早稲田に追いつきつつある昭和6年、右近が法学部予科に入学した。彼は当時のサッカーの黄金ルートと言われる御影師範付属小―神戸一中の出身で、予科1年から主力として活躍、昭和7年の東京カレッジリーグ初優勝など最初の黄金期を支え、昭和10年度には主将も務めた。右近はゴールキーパー以外どこでも務まるオールラウンドプレーヤーだった。コーチとして浜田を支え、のちに監督として関東大学リーグ4連覇や全日本選手権(現天皇杯)3回優勝など第2次黄金期を築いた松丸貞一は、右近について「ゲーム・メーカーとして最上位の評価が与えられる」「プレヤーとしての天稟や才能は往くところ可ならざるはない稀代の名選手」と評している。いわゆるボックス・トゥ・ボックスがその選手像に近いかもしれない。一方で「とにかく常にマイペースで、規制することもされることも好まない性格」であったという。また「日本人離れした容姿」や「大変なおしゃれ」など、いわゆるプレイボーイな一面も後輩らの記憶に残るようで、様々な点で規格外の人物だった。

さて、日本においては比較的新しい競技であったサッカーも1936年のベルリン五輪で初めてチームを送ることになる。代表は16人中11人を早稲田出身者が占め、右近は塾から唯一メンバー入りした。ベルリン五輪のサッカーは、出場16カ国による完全トーナメント制で、1回戦の相手が優勝候補の一角と目されたスウェーデンだった。当時の日本では俗にピラミッドシステムとも呼ばれる2-3-5のフォーメーションが主流で、右近はフォワード5人のうちインナーライトのポジションに配され、チームの攻撃の中心を担った。この試合で日本は前半2点を先行される苦しい展開に追い込まれる。しかし後半4分、右近のアシストから川本泰三がゴールを決めて1点差に詰め寄ると、迎えた17分、右近自身が同点ゴールをあげる。そして40分、松永行が決勝ゴールを決めて逆転勝利したのである。続く準々決勝では優勝するイタリアに0-8で大敗し、大会を後にしたが、スウェーデン戦は見事なジャイアントキリングであった。

五輪後大学を卒業した右近は東亜競技大会でも代表として1試合に出場している。しかしその後太平洋戦争で陸軍に召集され、ブーゲンビル島で戦没した。ベルリンの奇跡のメンバーは彼以外にも逆転ゴールの松永やキャプテンの竹内悌三らが戦争で亡くなっており、日本サッカーにとって大きな損失であった。

戦後の五輪へのソッカー部からの参加は少ないが、片山洋が東京五輪、メキシコ五輪に連続出場し、メキシコでの銅メダル獲得に貢献。また現在日本サッカー協会技術委員長を務める反町康治は監督として北京五輪代表チームを率いている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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