三田評論ONLINE

【その他】
第4回 慶應義塾体育会の軌跡/戦火に散った義塾アスリート

2020/08/14

東京五輪のペナントを背にした片山崇 (右)と高橋弘(福澤研究センター蔵)
  • 横山 寛(よこやま ひろし)

    慶應義塾福澤研究センター研究嘱託

「陸上競技の鈴木選手戦死」。昭和14(1939)年7月15日の『読売新聞』夕刊で戦没の一報がもたらされた。陸軍見習士官として、日中戦争中の中国河南省へ派遣されていた塾出身の鈴木聞多(ぶんた)(昭和12年卒)が同地で壮烈な戦死を遂げたのである。1936年8月のベルリン五輪で現役の学生として100m、4×100mリレーに出場してからわずかに3年後のことであった。

鈴木と同じ年に塾へ入学した親友で、同大会における友情のメダルのエピソードが有名な棒高跳び選手の大江季雄(すえお)(昭和13年卒)は、陸軍に入隊して熊本にいる頃に、戦死した鈴木を回顧して「湧き上る阿蘇の煙にわれひとりしみじみと思ふ亡き友のこと」という歌を残している。大江自身は1940年開催予定の東京五輪を目指して練習を続けていたが、日中戦争の影響により東京大会は返上、代替となるヘルシンキ五輪も第2次世界大戦の勃発により中止され、大江も陸軍へ入隊したのだった。そして陸軍少尉として太平洋戦争勃発まもない昭和16年12月、フィリピン・ルソン島ラモン湾上陸の戦闘で敵銃弾を受け、戦死した。

鈴木や大江のような戦争で亡くなったオリンピアンは戦没オリンピアンと呼ばれており、日本ではこれまでに38名が確認されている。このうち塾出身者は9名を占め、全国の学校で最多である。

戦没オリンピアンといえば硫黄島で戦死した1932年ロサンゼルス五輪馬術金メダリストの「バロン西」こと西竹一が有名だが、硫黄島ではもう1人メダリストが戦死している。同大会競泳100m自由形で銀メダルを獲得した塾水泳部主将の河石達吾(昭和10年卒)だ。すでに30歳を超えていた昭和19年に再度の召集を受け、独立混成第17連隊の一員として硫黄島防衛の任に就く。従軍中には息子が生まれ、その将来を楽しみにしていたが生還は叶わず、昭和20年3月、硫黄島守備隊は「玉砕」、河石も戦死とされた。

他にもベルリン五輪に日本競泳陣最年少選手として出場して100m背泳ぎで6位を記録し、ヘルシンキ五輪代表も決定していた児島泰彦(昭和16年12月卒)は、海軍へ入隊、海軍主計官として沖縄海軍航空隊へ配属され、昭和20年6月戦死している。

またベルリン五輪サッカーでスウェーデンに逆転勝利をおさめ、「ベルリンの奇跡」として知られる試合で、2対2の同点となるゴールを決めた右近徳太郎(昭和12年卒)も戦没オリンピアンである。右近は陸軍に入隊、昭和19年3月ソロモン諸島ブーゲンビル島で戦死している。塾出身の戦没オリンピアンには他にロサンゼルス五輪に出場した阿武巌夫(陸上4×100mリレー5位)、石田英勝(高飛び込み 8位)、村山又芳(ボートかじ付きフォア)、中村英一(ホッケー銀メダル)がいる。

オリンピアン以外でも体育会出身の戦没アスリートは多い。競泳長距離で活躍した片山崇(昭和18年9月卒)は自由形1500mでヘルシンキ五輪代表候補に選ばれたが、五輪が中止、海軍飛行科予備学生としてパイロットになり、台湾・宜蘭から沖縄周辺へ特攻、戦死した。

片山の1学年下からは学徒出陣組で、大学等に所属したまま陸海軍へ入隊した。そのうちの1人、塚本太郎は商工学校時代から水球のゴールキーパーとして活躍し、東亜競技大会では日本代表に選ばれた。彼は海軍予備学生となり、いわゆる人間魚雷「回天」の搭乗員として昭和20年1月南洋群島ウルシー海域で特攻死した。義塾出身者の回天による戦没者は5名を数え、こちらも学校別で最多となっている。

一方、戦没アスリートにはベテランたちも含まれている。ソッカー部では浜田諭吉(昭和4年卒)の名前が忘れられない。福澤諭吉門下浜田長策の長男で、ソッカー部の名付け親にして初代主将である。彼もまた昭和19年8月フィリピン・ミンダナオ島で戦死した。そして軍報道部新聞班長として応召した野球部の桐原真二(大正14年卒)に至ってはすでに40歳を超えていた。大正14(1925)年の19年ぶりの早慶戦復活に大きな役割を果たしたこの元主将は、昭和20年6月フィリピン・ルソン島で戦病死している。

このように現役からOBまで様々な義塾出身のアスリートが戦争で命を失った。現在判明している限りで、2229名を数える慶應義塾関係戦没者のうち、体育会出身者の正確な人数は定かではないが、相当な数に上ると考えられる。彼らがどのような気持ちで競技と向き合い、そして陸海軍へ応召したのか。戦後75年を迎える夏、こうした問題と向き合うことは社会におけるスポーツの価値を再確認するうえでも意義深いのではないだろうか。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

  • 1
カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事