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第2回 慶應義塾のオリンピアンたち/水泳部── ❝水泳ニッポン❞を支えた競泳陣

2020/06/19

内海邸でのベルリンオリンピック選手壮行会 (福澤研究センター蔵、緒方優子氏寄贈)
  • 横山 寛(よこやま ひろし)

    慶應義塾福澤研究センター研究嘱託

ベルリン五輪前後の黄金時代

日本が本格的に五輪に参加し始めた1920~30年代、世間の耳目を特に集めたのは陸上と競泳であった。メダルも両競技が大部分を占め、この流れのなかで義塾水泳部からもオリンピアンが誕生した。1928年アムステルダム大会に水泳主将として出場した野田一雄である。野田は浜松商時代に1924年のパリ大会にも出場した、自由形の有力選手であった。彼を嚆矢に後輩が続いた。

葉山での遠泳を起源とする水泳部は明治35(1902)年に創部し、競泳は大正2(1913)年に始まった。しかし昭和2(1927)年の第1回早慶対抗水上競技大会に出場した義塾の選手のなかで、中学時代に競技経験があったのは野田1人だけというから、トップクラスとは程遠いのが実情であった。昭和5年、そうした状況に転機が訪れる。綱町に最新のプールが誕生し専用の練習場を得たのである。これにより練習の基盤が整えられていった。

昭和7年6月、前年誕生した水泳の聖地・神宮プールで行われた最終予選に義塾からは2人が出場した。このうち河石達吾(修道中出身)が自由形100m決勝で5着に敗れたものの、代表に選出された。そして8月のロサンゼルス大会本番、準決勝B組を1着で通過し、迎えた100m自由形決勝。河石は5番手でターン後、最後に追い上げて見事銀メダルを獲得したのである。結局この大会で日本男子競泳陣は全6種目中、金5、銀4、 銅2を獲得する圧倒的な結果を出した。そして河石のロサンゼルス大会出場は義塾水泳部にも大きな影響を及ぼした。自由形100mで河石を抑えて優勝し、リレーでも金メダルを獲得した宮崎康二(浜松一中)と平泳ぎ200m銀メダルの小池禮三(沼津商)が、大会中に接した河石の人柄に惹かれ、相次いで義塾に入学したのである。

続くベルリン大会には2大会連続となる宮崎・小池に加え、寺田登(見付中出身)、児島泰彦(修道中出身)が代表に選ばれた。小池はここでも銅メダルを獲得、自由形1500mに出場した寺田は番狂わせの金メダルを獲得し、その地元は大騒ぎであったという。背泳100mで6位入賞した児島の子孫のもとにはある記念品が残されている。それは競泳の代表選手・スタッフの署名で埋め尽くされた看板で、裏面には「第11回オリンピック大会記念この板は小池禮三が大会の時の日本選手の控室にはってあったのをはいで来て児島の長さんに差上げたもの」と記されている。

ベルリン大会後、義塾競泳陣はいよいよ全盛期を迎えた。昭和12年の早慶戦は大接戦の末敗れたが、翌年、小池主将のもと早慶戦ではベルリン出場組に加え、高尾龍美、島本信美、高橋弘、片山崇、長久俊三らが活躍して念願の初勝利をつかむと、返す刀で同年の日本学生水上選手権も初制覇したのである。

こうした快挙の裏には様々な支援があった。なかでも昭和8年に水泳部OBの男爵内海勝二により綱町邸内に合宿所が設けられたことは特記すべき事柄だろう。戦前の五輪に出場した義塾の競泳選手は全員静岡県または広島県の出身で、多くはここを生活の拠点に練習を重ねたのである。河石から小池・宮崎へと五輪の繋いだ縁、そして時機を得たインフラ支援が相まって到来した空前の黄金時代は特別な成功体験であった。

しかしそれも長くは続かなかった。昭和15年の東京大会は返上されたものの、五輪は同年ヘルシンキで開催予定であった。そしてその前年8月に行われた日本選手権はその予選を兼ねており、児島と高橋が代表に決定、片山も代表候補に選ばれた(『水泳』昭和14年、67号)。とりわけ児島は続くインカレの100m背泳を大会新記録で優勝し、最注目の1人であった。しかし9月にヨーロッパで第2次世界大戦が勃発、ヘルシンキ大会は中止となり、彼らの出場は幻となってしまったのである。その後日本は太平洋戦争へ突入、卒業した水泳部の面々も相次いで戦場へ赴き、河石・児島・片山らが戦死、綱町の合宿所も空襲で焼失した。

戦後は二宮英雄(背泳)・古川徹(当時宮之城高、のち塾生)が1956年のメルボルン大会に出場し、続く1960年のローマ大会では清水啓吾がメドレーリレーで銅メダルを獲得している。その後は東京五輪での惨敗を契機としたスイミングクラブの発展など、水泳を取り巻く環境の多様化もあって選手獲得の苦労が続き、同種目における義塾出身のオリンピアンは井本直歩子(1996年アトランタ・4×200mリレー4位ほか)、立石諒(2012年ロンドン200m平泳ぎ・銅)の両選手を数えるのみとなっている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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