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第1回 慶應義塾のオリンピアンたち/庭球部――熊谷一彌と原田武一

2020/04/24

熊谷一彌 (慶應義塾福澤研究センター蔵)
  • 横山 寛(よこやま ひろし)

    慶應義塾福澤研究センター研究嘱託

2人の全米第3位プレイヤー

今からちょうど100年前の大正9(1920)年、慶應義塾体育会庭球部出身の熊谷一彌(くまがいいちや)がアントワープ五輪で銀メダルを獲得した。これは日本初の五輪メダルという「栄光」に浴する出来事であった。

熊谷は明治23(1890)年、福岡県大牟田町に生まれ、早くも小学校の頃テニスに出会っている。伝習館中学から宮崎中学を経て明治43年、慶應義塾大学部理財科予科へ入学、庭球部に所属した。

当時日本で硬式テニスを行う団体はほとんどなく、明治34年創部の塾体育会庭球部も軟式テニスだった。しかし熊谷在学中の大正2年、後に日本庭球協会初代会長となる朝吹常吉らの強い勧めで硬式テニスへ転換し、熊谷も徐々に適応した。

大正5年大学部理財科を卒業した翌年、熊谷は三菱合資会社銀行部に就職した。これは朝吹ら慶應の先輩からテニスを優先した選択として三菱銀行への就職を「命ぜられ」、その斡旋にしたがったものだった。そして数カ月後にはニューヨーク支店配属となり、アメリカで挑戦できる環境に置かれたのである。するとアメリカ各地の大会で左利きの強烈なドライブを武器に好成績を収め、たちまちトップクラスの選手へと駆け上がっていった。そして1919年には全米第3位を記録したのである。

こうして迎えたのが1920年のアントワープ五輪であった。1896年に始まった近代五輪に日本は1912年ストックホルム大会で初参加、第1次世界大戦による中止(1916年ベルリン)を経て開かれた大会だった。熊谷は圧倒的な実績ゆえ予選もなく代表に選ばれ、ニューヨークから直接ヨーロッパ入りした。

B・チルデン、B・ジョンストンらアメリカの有力選手は自国の大会と日程が重なり不参加。さらにヨーロッパは長年続いた第1次世界大戦のブランクがあった。それゆえ開幕直前の8月14日付『ニューヨークタイムズ』で“Patterson and Kumagae Are Favorites in Olympic” と報じられるなど、熊谷はオーストラリアのG・パターソンと並んでシングルスの優勝候補筆頭と目された。

実際5試合すべてを3-0のストレートで決勝まで勝ち上がった。しかし決勝は南アフリカのL・レイモンド相手に第1セットを制したものの、1-3で敗れ、銀メダルに終わった。翌日のダブルス決勝も敗れた。熊谷はこの敗戦を「悲憤痛恨の涙にくれた」「テニス生活中一生の不覚」と振り返っている。

翌年日本が初参加したデビスカップ(テニスの国別対抗戦)決勝でアメリカに全敗したときには、同じ準優勝でも、「男1匹の生涯を飾るにふさわしい場面とだけはいえるだろう」と振り返っていることと比べると、その無念さがよく感じられる。2枚の銀メダルは熊谷にとって「栄光」ではなかったのである。

熊谷がアメリカで活躍している頃、後の五輪選手・原田武一(はらだたけいち)が慶應義塾に入学した。岡山県都窪郡中洲村(現倉敷市)出身の原田は明治32(1899)年生まれ、本格的にテニスを始めたのは大正6(1917)年大学部予科へ入ってからであった。当時は天現寺の寄宿舎にコートがあり、原田は「寄宿舎に生活をスタートした事は僕にテニスを始めさせた最も大きい原因」と回顧している。大正11年には小泉信三が庭球部長に就任、やがて「庭球王国慶應」と称されるまでに成長するが、原田はその最初期を牽引した。大正12年、全日本選手権に優勝すると、翌年、落第を繰り返しながら7年在籍した慶應義塾を中退(昭和6年特選塾員)して渡米。ハーバード大学特別科の学生としてアメリカに拠点を移し、ウィンブルドン、そしてパリ五輪(1924年)に出場した。

原田はシングルスで5回戦(準々決勝)まで勝ち進んだ。しかしイタリアのU・モルプルゴに敗れ、ベスト8で敗退。ダブルスも敗れメダル獲得はならなかった。むしろ原田の全盛期はオリンピック後で、1926年には全米3位に輝いている。

その後も庭球部は山岸二郎、隈丸次郎、藤倉五郎、石黒修らデビスカップ選手を輩出したが、五輪のテニスは、原田の出場したパリ大会を最後に競技種目から外れたため、彼らが出場することはなかった(1988年のソウル五輪で復活)。

庭球部が硬式テニス未開の地を開拓し、蒔いた種は2人のオリンピアン誕生という形で実を結んだ。慶應義塾にとっても永遠に記憶される、日本テニス黎明期の成功譚であった。

原田武一(右)と小泉信三 (『慶應庭球三十年』より)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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