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【書評】『精選 折口信夫 Ⅰ~Ⅵ』(岡野弘彦編)

2019/12/28

  • 伊藤 好英(いとう よしひで)

    元慶應義塾高校教諭・塾員


    岡野弘彦[編]

本書はその名のとおり、折口信夫の膨大な著作の中からエッセンスを5巻に収め、さらにアルバム1巻を加えたもので、編者は折口晩年の7年間、居をともにしてその学問と生活を間近に見続けた岡野弘彦である。内容は、「Ⅰ、異郷論・祭祀論」「Ⅱ、文学発生論・物語史論」「Ⅲ、短歌史論・迢空短歌編」「Ⅳ、芸能史論」「Ⅴ、随想ほか・迢空詩編」「Ⅵ、アルバム」である。各巻の末尾には、師との思い出を語る岡野の最新の随想と、本書の理解を深める長谷川政春の詳しい解題とが付されている。

これまで、本書のような折口の著作のアンソロジーは出ていない。『古代研究』全3巻は、折口の最初の論文集であるにもかかわらず、そこには依代論・異郷論から「まれびと」論に至る彼の学問の要諦がほぼ出揃っているので、アンソロジーではないが、われわれはこれまでこの3巻を折口理解の基底に据えてきたわけである。本書が折口のアンソロジーである所以は、この『古代研究』中の論考をさらに精選し、それ以後の成熟期の著作のエッセンスと合わせて広い読者層にそれを提供した点にある。折口の最後の弟子のひとりである岡野によってこのようなものが刊行されたことによって、読者はこれを1つの目安として、自身の折口理解を構築してゆくことができよう。私も以下自由に、このアンソロジーから受けた感想を記してみたい。

本書の構成はきわめてよく考えられたものであると言えるが、逆にかなり自由な精神も窺える。その自由さがこのアンソロジーの魅力でもある。第1に窺えるその自由さは、「Ⅴ、随想ほか・迢空詩編」の終り近くに、「民族史観における他界観念」の自筆草稿を入れてあることである。Ⅴだけ頁数が極端に多いが、それはこの最晩年の論考の成立に深く関わった岡野の思いが、最終段階で構成の体裁を無視させた結果であろう。しかし面白いのは、この論考の追加によって結果的に、「精選」の文章が初めと終りで異郷論に挟まれた形になったことである。しかも最初の「妣が国へ・常世へ」は、折口の沖縄行きより前の大正9年の論考で、「民族史観における他界観念」は死の前年の昭和27年のものである。「まれびと」論も日本文学発生論も芸能論も、時期的にはこの2つの異郷論の間で構想され理論化されたものである。それらの論が、折口においていかに異郷論と深く結び付いたものであったかを、この偶然の構成は象徴している。

しかもこの2つの異郷論の内容は、折口の学問の重要な性格をわれわれに気付かせてくれる。それは、折口の「古代」が、「前古代」を内包するものであるという認識である。本書の「民族史観における他界観念」は、全集が底本とした『古典の新研究』からのものではなく、最初の自筆草稿をもとにしている。その中に次の文章がある。「われわれの史実と考へることの出来ることの多い古代は、近代に続いてゐると言ふ点から見れば、其(その)古代と、私の述べてゐる古代の其前代の方が、もつと更に時の隔りがあるやうな気がする。其(それ)ほど古代と前古代との間に、知識の飛躍があるのである」。この「前古代」とは、「妣が国へ・常世へ」の冒頭に述べる「われわれの祖(おや)たちが、まだ、青雲のふる郷を夢みて居た昔」と同義である。2つの異郷論は、折口の歴史研究・文学研究がこのような「前古代」を射程に入れてのものであったことをはっきりと示しているのである。ちなみに、ここに引いた自筆草稿の文章は、全集本のその箇所と比べより解りやすいものとなっている。『折口信夫の晩年』で岡野が言うように、この論考が、「(折口の)書き加えがかさなるたびに、論旨はいよいよ複雑に難解になって」いったことがわかる。

本書の構成の自由さで読者が次に驚かされるのは、「国文学の発生(第3稿)」が、Ⅱ所収の「国文学の発生(第1・2・4稿)」と切り離されて「Ⅰ、異郷論・祭祀論」に入れられていることである。しかし、この四論考のうち「第3稿」のみ、原題が「日本文学の発生」ではなく「常世及び『まれびと』」であったことを考えれば、この扱いは決して不当とされるものではない。むしろ、この本格的な「まれびと」論がⅠに置かれていることで、ⅡやⅣで扱われている「文学」「芸能」の発生原因が、「祭祀」において「異郷」から訪れる「まれびと」の「ほかひ」の言動にあることを、読者はより明確に認識できるようになっているのである。

紙面が尽きたが、創作がⅢ・Ⅳ・Ⅴと分散して配置されていることにも、本書の自由な性格が見られる。それは、「解題」が言う「研究者折口信夫と文学者釈迢空との一体の姿」を構成の上で示そうとするものとも言える。中でも小説「身毒丸」は、折口の芸能史の大事な一部であり、そのため「精選」はこれを当然のようにⅣの最後に据えている。なお、小説「死者の書」は分量の関係から今回の「精選」には入っていないが、これが折口の研究・創作の中核の位置にあることは確実なことであり、読者は自身で「精選」の欄外にこれを付加しておくべきであろう。

『精選 折口信夫 Ⅰ~Ⅵ』
岡野弘彦[編]
慶應義塾大学出版会
各巻232〜356頁、2,800円(税抜)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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