三田評論ONLINE

【その他】
【書評】『福澤諭吉と慶應義塾の歳時記』

2018/10/31

  • 山﨑 一郎 (やまざき いちろう)

    慶應義塾普通部教諭


    齋藤秀彦[文]・信時茂[絵]

横浜初等部の齋藤秀彦教諭は、福澤先生や慶應義塾の歴史についての研究を次々と発表されています。『三田評論』の連載「福澤諭吉をめぐる人々」には度々寄稿されていて、日本の内外から福澤百助をはじめ福澤先生と因縁のあった人物をとり上げて紹介していますが、その都度興味深く拝読しております。さらに昨年には、横浜初等部の教科書として、『福澤諭吉の『世界国尽』で世界を学ぶ』を出版されて、正に一貫教育校の現場に新風を吹き込む存在となってきています。

そしてこの度、齋藤教諭が文を担当し初等部の同僚の信時茂教諭が絵を担当された、『福澤諭吉と慶應義塾の歳時記』(泉文堂)が発刊されました。私は一貫校の教員の立場として、慶應義塾や福澤先生の足跡を若き塾生に伝えたいと常に思ってきました。ただこちらの意図に反して、彼らの関心はどうも今ひとつという状況がありました。この本では、二十四節気という歳時記を切り口に、季節に関連づけて義塾の歴史や福澤先生を伝えることに着眼しています。切り口として的確な工夫であると感じました。季節の移ろいを視点とし文で伝えるだけではなく、節気ごとに絵を挿入された点も素晴らしい。信時教諭の描く季節の絵は、若き塾生の感性に響き、知識だけに留まらぬより深い理解へとつながるものとなるでしょう。「信時」という名前を聞くと、義塾と浅からぬ縁を感じるのは私だけではないと推察します。

歴史的なものへのアプローチの方策の一例として、以前に幼稚舎で大量の蔵書を整理して分類する作業を続けられ、「蔵書印」を切り口に蔵書の展示をされたことがありました。その機会に展示を拝見して、「蔵書印」という着眼点に感心しましたが、今回の著者の着眼点は歳時記であり、切り口としてとても素直な印象を感じました。1年間の季節の移ろいを感じ取って、その気付きに義塾の歴史や福澤先生を同調させることは、1年間という年度で活動している一貫校の現場でとても活用しやすい本であると思います。1年間の季節の節目を話題として活用するわけですが、著者も「はじめに」で「気が向いたときに、気になる節気のページを開くのでも良いでしょう。読者には、本書を自在に読み進めながら、さまざまな出来事の背後にある時代の空気を感じてもらえれば幸いです。」と書かれているように、あえて1年間に詰め込むのではなく、一貫教育の各段階で適宜状況に応じて複数年で活用するやり方も良かろうとも考えます。各校での柔軟な活用を可能にしてくれる本でもあります。

また、塾生が読むべき本として推奨するだけでなく、慶應義塾の一貫教育に興味を持っている人に是非紹介したい本でもあります。社中の一員になることは、こういう1年間の過ごし方をするようになることなのだということをこの本は示唆してくれます。塾生となって年を重ねると、義塾の精神文化の継承者に育つことを予見させてくれます。

私はかつて普通部長の任にあった際に、普通部生に対して度々「慶應義塾の目的」に関する話をしました。若き塾生が全社会の先導者として社会に貢献する人材に育つことを切望し話題とした次第です。決して無理難題ではないし、ゼロからのスタートとは限らないのではないか、巨人の肩に乗るという言い方があり、やがて巨人の肩から降りて自らの足で一歩を踏み出すことと解釈したら良いと付け加えました。

この本では我が国の歴史的な事件に、当時の福澤先生がどのように関わっていたか丁寧に記述しています。例えば、「雨水 咸臨丸」のページでは、おそらく当時無名に近かった福澤先生と軍艦奉行の木村摂津守との接点について、「冬至 改暦」のページでは、「時の改革」に混乱する世情に対して急遽『改暦弁』を発刊して、新暦の優位性をいち早く知らしめた福澤先生流の社会貢献についてなど、単なる事件の説明に終始することなく人物の動向が表現されていて、読者に合点がいく記述となるように著者が専心されている姿が見えます。

福澤先生の師や仲間との出会いや、世間の役に立とうとする姿勢が随所に記述されているわけです。日々の一貫教育の生活の中に、義塾の先人達に学び共感できるヒントはあるはずだと著者が伝えてくれている気がします。

この夏、記念大会に出場した慶應義塾高校野球部の応援に甲子園に足を運びました。前泊した場所が大阪の福島駅の近くだったこともあり、試合前に福澤諭吉誕生の地と適塾を巡ってきました。両地を巡ることになったのは、この本がその気にさせてくれたと言えます。酷暑の適塾内を見学しつつ、「大暑 夏は真実のはだか」のページに書かれている、階下からの緒方洪庵夫人の呼び出しに裸のままで出てしまった失敗談の階段とはどの階段か思いを巡らしました。福澤先生や慶應義塾の歴史をより身近な存在に感じさせてくれる、そのような魅力をもつ本であると思っています。

『福澤諭吉と慶應義塾の歳時記』
齋藤秀彦[文]・信時茂[絵]
泉文堂
226頁、2,700(税抜)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
  • 1
カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事