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【新 慶應義塾豆百科】
「卒業の日」と「卒業発表」

2026/03/10

「卒業」という言葉には、人それぞれの思いが込められている。慶應義塾での学びを終え、社会へと巣立つ門出の瞬間。今回は、この節目をめぐる2つの話題、「卒業の日」と「卒業発表」の歴史をひも解いてみたい。

慶應義塾大学では、長らく卒業式が行われる3月23日を「卒業の日」と定めてきた。カレンダーの都合で式の日程が前後しても、学位記に記される日付が、正式な「卒業の日」とされてきた。転機が訪れたのは2010年代初頭であった。まず2010年3月、医学部のみ「卒業の日」が3月10日に前倒しされた。その後、学部毎に「卒業の日」が異なることへの懸念を理由として、翌2010年度からはすべての学部で3月10日へと一斉に「卒業の日」が変更(春学期は9月5日を新たに定義)されている。そして、この変更が適用された最初の年度末、2011年3月11日に東日本大震災が発生した。もし旧来の「23日」のままだったとしたら、混乱の中で学位記の授与や証明書発行が滞るといった事態が発生していた可能性が高い。

次に「卒業発表」の風景を振り返りたい。現在は学業成績表オンライン閲覧画面で合否を確認するのが当たり前だが、ここに至るまでには3つの段階があった。

まず1つ目は、「紙掲示」のみという2002年度までの時代である。三田キャンパスを例にとれば、西校舎地下2階に、学籍番号・クラス・氏名を掲載した一覧が貼り出されるのが春の風物詩であった。当日午前9時前には大きな人だかりができ、貼り出しと同時に誰もが自分や友人の名を探して一喜一憂する熱気あふれる光景が見られた。

次の2つ目は、2003年度から2010年度までの「紙掲示(2007年度から掲出場所を西校舎地下1階に変更)とWeb一覧の併用」時代である。個人情報保護の観点から氏名の掲出をやめ、学籍番号とクラスのみの掲載とした上で、Web上でも同様の一覧を公開するようにした。

そして、現行方式につながる3つ目の時代への転換点が2011年度である。この年は「様子見」の過渡期としてWeb一覧を廃止。それまで午後3時以降に公開していた個別確認方式(Web上の学業成績表オンライン閲覧)を前倒しし、サーバ負荷対策として学部別に時間をずらしつつ、午前9時から順次公開することとした。今まで通り紙掲示も継続したが、蓋を開けてみれば掲示板前を訪れる学生はほぼ皆無であり、学生の意識は既に画面の中へと移行していた。この結果を受け、翌2012年度から現在の個別確認方式へと一本化されたのである。

「卒業発表」という1つの行事にも、情報化と個人情報保護、そして学生の行動変容という時代のうねりが色濃く映し出されている。 (学生部事務長 中峯秀之)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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