【新 慶應義塾豆百科】
鶴岡と慶應義塾
2025/11/17
山形県鶴岡市にある鶴岡タウンキャンパス(TTCK = Tsuruoka Town Campus of Keio)は、2001年5月13日に開設式が行われた。
それまで義塾とあまり縁があるとは思われていなかった鶴岡の地にこのキャンパスができた端緒は、山形県と庄内地域14市町村が公設民営方式で大学を創設する構想であった。義塾は産業振興、科学技術向上、人材育成等に資する知的支援の協力要請を受けて、鶴岡市に義塾大学付属研究所(先端生命科学研究所=先端研)を中核とするTTCKの開設を決め、1999年3月に協定を締結した。隣接する酒田市に新設される東北公益文科大学の4年後にできる大学院と先端研が鶴岡市に置かれることとなった。
庄内地域は文化的な素地があるうえ、既存のキャンパスでは望めない豊かな「つち、みず、かぜ、いのち」があり、それらを活用する研究が始まることになった。開設の数年前から義塾が来たら何ができるかと検討する地元のシンポジウムも行われ、協定締結後開設時までの2年にわたりTTCKワークショップが有志を中心に開かれ、多くのアイディアが出された。バイオ研究の情報都市、様々なサミット提案、在来種の保存などのうち、実現に至ったものも多い。日本で一番落雷数が多い鶴岡ならではの「雷サミット」開催や、義塾一貫教育校と市内の4校の生徒が参加するサマーバイオカレッジもそこから発している。義塾の学部生、大学院生を対象とした夏季の宿泊型の体験型セミナーも行われるようになった。SFCでは先端研を拠点としたバイオ実験実習科目も履修できる。
先端研開設で幕を開けた、県と市が行政支援する鶴岡サイエンスパークの中核となる、クモの糸の人工合成を成功させた新会社やメタボロームテクノロジーの新会社も起業し、先端研は新しい生命科学のパイオニアとして世界から注目されるようになった。こうした研究、就業の場が増えたこともあり、鶴岡市に移住する若い研究者、家族も増えている。
他方で鶴岡と義塾の縁も掘り起こされていった。慶應義塾図書館初代館長の田中一貞は鶴岡出身で、図書館に郷土の人材を招き入れた。安食高吉、羽柴雄輔、国分剛二等で、図書館の「荘内閥」とも称された。安食は義塾の文学科在学中から図書館に勤務し、最後は主任になった。羽柴や国分は郷土史家でもあり、大正年代に招き入れられ、庄内に関する書物、史料を図書館に収集した。そのため義塾図書館には庄内地方で散逸してしまった貴重な資料が多数所蔵されている。明治維新後、桑畑、養蚕場を開墾した旧庄内藩士たちが北海道開拓に派遣された明治初期の記録『北役日誌』などもその1つである。2011年には鶴岡市で「慶應義塾図書館所蔵庄内史料展」が開催された。
(元広報室長 石黒敦子)
- 1
| カテゴリ | |
|---|---|
| 三田評論のコーナー |
