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【新 慶應義塾豆百科】
塾監局内部・組織の変遷

2023/08/31

三田キャンパス内の塾監局は約100年前の1926(大正15)年9月に竣工した。塾長が林毅陸の頃で、慶應義塾に現存する建物では、演説館、図書館旧館に続き、3番目に古い建物である。設計は曾禰中條建築事務所で、地下1階、地上3階建て、鉄骨鉄筋コンクリート造、2,445㎡、外装は淡褐色のスクラッチタイル張り、平屋根で典雅な佇まいをしている。

もともとこの場所には旧塾監局が建っており、これは1887(明治20)年レンガ造2階建て(約900㎡)、寄棟の瓦屋根で、慶應では初めてのレンガ造建築であったが、関東大震災(1923年)により半壊したことから、建て替えられた。この頃は、まだ珍しかった、より堅牢で耐震性の優れた、鉄骨鉄筋コンクリート造が使われ始めた頃の建物となったのだ。

塾監局の当初の内部構成は、1階に事務部門(庶務室・教務室)があり、2階に塾長室、理事室2室と、大部屋の教員室(研究室)が3室あった。3階は教室(教室4室、大教室1室)で、大教室では評議員会も行われていた。地下1階に湯呑所、印刷所、汽缶室、宿直室等があった。当初の塾監局は、事務機能と教育機能が集約された建物であった。

塾監局ほど、何度も内部の改修を行ってきた建物は他にない。竣工から10年経った1937年には大がかりな改修が施されている。この頃は、34年に日吉が開設され、37年に三田第一校舎ができ、教育機能の拡充が行われた時期である。39年にはそれまでの「庶務、教務、会計」の3係から「庶務、教務、会計、塾員、用度、就職」の6課とする改革が行われた。1943年には調査課、総務課が新設された。51年にも大幅な内部変更がされている。これは戦災による復興時期で、三田構内に研究室や教室が次々に整備されたため、研究・教育機能を移転するとともに、50年より塾監局職制改革が実施され、塾監局長が置かれ、「文書、人事、経理、管理、教務、外事」の6部体制となった。これにより塾監局内は事務・教務部門と執行部を中心とした建物となった。戦時の空襲により、三田キャンパスでも多くの被害があり、残った建物は5棟のみであったが、塾監局はなんとか戦災を逃れている。58年創立100年事業で南校舎が建ったことで、教務部門はそちらに移転した。86年にエレベーターが設置され、その頃大掛かりな外装の改修が行われ、窓も取り替えられた。94年北館が建ったことで、印刷所や一部事務機能が移転した。

塾監局は、キャンパス内の建て替えや、組織改編がある毎に、内部改修が施されてきた歴史をもつ。竣工から100年、歴代の執行部が政策拠点として利用し、慶應義塾の拡大と共に、組織改編が行われ、常に義塾の中枢を担い、重要な意思決定がこの建物からなされている。

(管財部 渡辺浩史)

1926(大正15)年塾監局新築工事設計図(平面図)
1926(大正15)年塾監局新築工事設計図(立面図)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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