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【新 慶應義塾豆百科】
卒業証書2

2023/03/31

1991年度の卒業生から「卒業証書」は「学位記」と名を変えた。これは学校教育法と大学設置基準・学位規則が改定されたことによる。この改定によって学士の称号として、たとえば文学部の卒業生はすべて「文学士」と称されていたのが、「学士(哲学)」「学士(図書館・情報学)」と専攻にそって称される学位となった。英語表記でも同様で、Bachelor of Arts in Letters であったのが、Bachelor of Arts in Philosophy、Bachelor of Arts in Library and Information Science となり修めた学問が明確になったといえよう。

その後の学位記の大きな変革は2020年度から従来の縦書きから横書きに変わったことである。

時代の流れのなかで国際化対応として学位記についても日英併記の必要性が高まったことが大きな要因であろう。紺地に赤のラインの入った1961年度から使われている学位記のカバーは赤ラインがなくなり、用紙を縦に使ってペンマーク、学位記、授与文、日付、大学長と学部長署名で和文表記が終了し、それに続いて英文表記で同様に授与文、学位、大学長と学部長の英文署名という形式となっている。時の移り変わりとともに卒業証書(学位記)も変化してきたといえる。

卒業証書の変遷を辿るうえで意外に気づかれていない変化がある。それは用紙に透かしが施されたことである。「慶應」「義塾」と2行の透かしは1985年度の卒業生から開始された。偽造防止の観点からと思われる。福井県吉田郡永平寺町にある永平寺の門前に、越前手漉和紙・石甚がある。そこに慶應義塾の学位記の透かしの漉き枠が展示されている。永平寺詣での折に立ち寄っていただければと思う。その後、透かしも含めて印刷業者で印刷されるようになっている。

学位記には卒業年度と創立年が上下に書かれたペンマークが記されている。ご存じのように、ペンマークは明治18年頃、塾生たちがペンを交差させて帽子につけ始めたのが始まりである。その数年後の明治23年、大学部発足の頃から卒業証書には味のあるペンマークが描かれるようになった。羽根ペンと木ペンを交差させてリボンで結わえてあるペンマークの下側に、月桂樹とオリーブの枝が配されているものである。上側には篆書体で慶應義塾(のちには慶應義塾大学)と囲うように書かれている。ペンを交差させた現在にいたるペンマークは明治期から使用されているにもかかわらず、ペンマークそのものではなく、この絵柄が大正期、昭和期にいたるまで卒業証書に使われていたのは、いかにも慶應義塾らしい。賞状サイズの卒業証書に義塾らしい風格と個性を生んでいた。この絵柄は『慶應義塾史事典』の「ペンマーク」の項に掲載されているので、興味のある方はご覧いただきたい。

(元広報室長 石黒敦子)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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