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【新 慶應義塾豆百科】
卒業証書1

2023/02/28

学位記の授与(2021年度学部卒業式)

明治7(1874)年4月、慶應義塾の第1回卒業生が7名誕生した。前年の明治6年の学則改定によって、教授規則の正則科規則の結尾に、「一、此学校にて本等の業を全く終りたる者へは成業の免状を与ふべし。一、事なくして退学するものへは其等級に従て卒業の証書を与ふべし。」と卒業の規定が設けられたことに基づいている。当時は「卒業之証」という証書が授与されていた。

時を経て、昭和30年代の卒業集合写真をみると、卒業証書の入った紙筒を手にしている。こうした戦前から永く続いていた表彰状サイズの卒業証書は1961年の卒業生が最後となる。翌1962年3月の卒業生から、紺地に赤のラインが入り、金文字で「慶應義塾大学 卒業証書」と書かれた硬いカバーに挟まれたA4サイズの卒業証書となった。この形式は現在まで続いている。ちなみにこのカバーの金文字は福澤諭吉の手によるものである。

コンピュータは無論のこと、ワープロもなかった時代、慶應義塾には筆耕と呼ばれる職員が複数勤務し、毛筆で看板等を書いていた。1969年刊行の広報誌「塾」のグラビアには教務の筆耕係が卒業証書を積み上げ、硯で墨を磨りながら卒業生名簿を横において、毛筆で氏名を書いている写真が載っている。当時の卒業生は5,000名を超えていた。一人ですべてを書くのは大変な作業だったのは想像に難くない。数カ月かかっていたという。戦前から続けられていたこの作業は、その後まもなくその筆耕が塾を去ったのをきっかけであろうが、業者に外注されるようになった。さらに近年になると、たぶん2000年頃と思われるが、卒業者名はすべて活字印刷となった。塾長と学部長の名前はご本人の直筆をコピーして印刷されているのは現在も変わらない。

1991年度から卒業証書は学位記と名前を変えた。これは91年7月に学校教育法と大学設置基準・学位規則が改正され、「学士の称号」から「学士の学位」に改められたことによる。それ以前は卒業証書に「慶應義塾学則に定めた法学部の課程をおえ法学士の称号を得た よってこれを証する」というように書かれていたが、この年からは「慶應義塾の学則に定めた法学部の課程を修め本大学を卒業した よってここに学士(法学)の学位を授与する」と書かれるようになった。

この改正により、(  )内の名称が専攻分野により設定できるようになったのも大きい。それまで文学部の卒業生はすべて「文学士」だったが、改正後は学士(哲学)、学士(文学)、学士(人間関係学)といった学位となった。

卒業証書から学位記となって、カバーの金文字も「学位記 慶應義塾大学」と変わったが、福澤諭吉の筆であることは変わらない。

(元広報室長 石黒敦子)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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