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【新 慶應義塾豆百科】
キリスト教青年会館(ヴォーリズ建築)

2022/09/16

キリスト教青年会館外観(現在)

日吉キャンパスの高等学校グラウンドの片隅に、「キリスト教青年会館」と呼ばれている小さな建物が、樹木に囲われ、ひっそりと佇んでいる。

この建物は、日吉キャンパスが開校(1934年)して間もない、1937(昭和12)年文化団体連盟の慶應義塾基督教青年会(以下「青年会」という)OBである里見純吉を中心に募金活動が行われて建てられ、義塾に寄贈されたものだ。建設当時から現在まで青年会の拠点として利用されている。青年会は1898年に設立された、古参の会である。里見純吉は青年会の創立者の一人で、慶應義塾理財科を卒業し、後に大丸の社長となり、YMCAの各種役員や、多くの教育機関でも役員を務めた人物である。

この建物は、木造、平屋建て、90㎡程度の小さな建物だ。外壁は白い吹付モルタル仕上げ、屋根は赤い鋼板で、特徴的なのは尖塔があり、その先に木製のシンプルな十字架が置かれている。建物の中は講堂と教壇があるだけだ。2012(平成24)年10月、横浜市の「横浜市登録歴史的建造物」として登録されている。戦後、日本が米軍に接収された時は、米軍がチャペルとして使用したと言われている。

小さい建物であるが、設計者はウィリアム・メレル・ヴォーリズである。アメリカ出身の宣教師であり、実業家であり、建築家でもあった。大正から昭和にかけて多くの建物の設計を行い、教会、学校、住宅、オフィスなど幅広く、日本における西洋建築では有名な人物だ。特に関西圏を中心に現在も多くの作品が残っており、ヴォーリズが手掛けた建物の多くは登録文化財や重要文化財になっている。また、薬のメンソレータムの輸入業を行い、現在の近江兄弟社グループを立ち上げ、病院や学校を設立し、福祉・教育活動にも精力的に取り組み、多岐にわたり活動を行った。日本に帰化し、一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名し、戦時も日本に残り、生涯を日本で過ごしている。

慶應義塾が保有する、ヴォーリズの建物はこの一件のみである。

建物内部

里美純吉は建物計画時に、「鐘」を取り付けることを企図し、わざわざ製造した鐘を日吉に贈っている。戦時の影響もあり、その鐘は表に出ることはなく、50年後の1989年に発見されることとなる。建物に取り付けることは、構造的に難しいこともあり、現在その鐘は、OBの寄付により御殿場にある国際青少年センターYMCA東山荘の敷地内に鐘楼が建てられ、そこに取り付けられている。キリスト教青年会館は小さな建物であるが、慶應のようなミッション系でない大学内にこのような集会の場所を構えることは、青年会設立者たちの悲願だったのだろう。日吉キャンパスの歴史を今に伝える、貴重な遺構となる建物である。

(管財部 渡辺 浩史)

キリスト教青年会館平面図・断面図(昭和12年)(慶應義塾管財部蔵)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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