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【新 慶應義塾豆百科】
戸田艇庫

2022/04/28

第6代艇庫(昭和48年の落成式)

慶應義塾体育会端艇部は明治22年に創部し本年で133年となる。この間、数多くのオリンピック出漕や全日本選手権優勝を果たしたが、この活躍を支えたのが「艇庫」「合宿所」である。現在、競漕艇を格納する艇庫には1千万円する輸入エイト艇を始め数十艇が保管されている。最初の塾艇庫は明治31年建設の芝浦艇庫で、第2と第3の艇庫は当時のボートのメッカである隅田川に建設された。予科の日吉移転に伴い昭和15年、多摩川堤防を貫く形でつくられた第4の多摩川艇庫は昭和19年の空襲で焼失。その間、「1940年東京五輪」用に戸田に世界初の人工ボートコースとして昭和15年に戸田ボートコースが竣工された際、同年に塾は戸田コースの用地720坪を取得している。

多摩川艇庫焼失後は隅田川にて他大学から艇とオールを借りて活動していたが、戸田に艇庫建設を計画。昭和24年に木造2階建ての瀟洒な第5代の合宿所と艇庫が完成した。東宮御所や幼稚舎本館を設計した谷口吉郎氏の作品である。

ボート競技は究極のチームスポーツで、一糸乱れぬユニフォミティを醸成するため長期合宿用の合宿所の併設が欠かせない。この第5代艇庫と合宿所が塾端艇部の黄金時代を築いたが、艇の収納能力は10艇程度で合宿所も一戸建住宅程度のスペースで20名ほどの収容。冷暖房もシャワーも収納もなく1人1畳分のスペースに生活する濃密さであった。木造建屋の窓からは隙間風が入り、冬の朝には布団に雪が積もり、梅雨時には畳にキノコが生える等、老朽化もあったため、昭和48年に鉄筋コンクリート造2階建ての第6代の艇庫が完成した。

しかし、この艇庫も構造上真夏は40℃になるなど選手のコンディショニング上、問題があった。平成元年「端艇部創立百周年」を迎え、記念事業として新艇庫建設を計画し募金事業を実施、艇の収納能力と合宿生活の快適性を第一となるよう充分に時間を掛けて設計し、50年以上使用可能な構造で設備の整った、第7代艇庫が平成5年に竣工した。現在の艇庫は鉄骨造で1階が艇庫、2階が合宿スペースとなっている。これまでの3倍の艇収納で、合宿所は80名以上の収容が可能。冷暖房完備で屋内トレーニング室、大型の2段ベッド、広い自炊用キッチン、温水シャワー付き大浴場等が備えられている。

以前の艇庫に比較して誠に贅沢かつ快適な艇庫が完成し、部員達も丁寧に使用している。完成から早や30年近くが経過したが、さらに50年は使用し、塾とOBの浄財と協力で完成した戸田艇庫で部員諸君が「気品の泉源・智徳の模範」をしっかりと身に付け、社会に役立つ立派な人間に成長してくれるものと確信している。

(三田漕艇倶楽部会長 平岡英介)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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