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【新 慶應義塾豆百科】
日吉馬場

2021/12/28

日吉キャンパスの北側斜面に沿って、馬場がある。キャンパスからは見えないため、ほとんどの学生には馴染みがないだろう。矢上から住宅地を抜けていくと突然、馬が目に入ってくる。近くの幼稚園児がよく覗いている風景も見られる。この馬場は、主に体育会馬術部の活動拠点であり、医学部も利用しているほか、塾高、女子高、中等部は学部の部員と一緒に練習している。馬術部は大正9(1920)年に創設され、2020年に創部100年を迎えた古参の部である。創部当初は軍隊の軍馬を借りて練習をしていたが、昭和16(1941)年に馬場と共に厩舎が日吉に整備され練習拠点とした。

馬術部は、体育会43部の中で、唯一生き物を扱う部である。生き物を扱うが故に、他の部にはないユニークな特徴、活動がみられる。厩舎と柵で囲われた約2,650㎡の馬場では、20頭近くの馬が飼育され、世話をする専任の厩務員が2名常駐している。そこでは馬術競技(障害馬術、馬場馬術、総合馬術)に対応した練習が行われている。障害馬術は10個以上の障害物を飛び越えて落下減点数を競う、馬場馬術は20m×60mの馬場の中で規定の演技を行う採点競技である。総合馬術は1頭の馬で障害飛越・馬場馬術・クロスカントリーの総合点を競う競技である。試合の際は馬も一緒に会場まで輸送するため、馬術部では専用のトラック(馬運車)も保有している。

馬場は通常のグラウンドとは違い、砂が敷き詰められ、ふかふかしており、とても人は走れるようなものではない。

2021年に馬術部創部百年事業の一環として、厩舎の増築工事が行われた。近年の馬の大型化に伴い馬が入る馬房が狭くなり、広くし馬がリラックスできる環境を整えることを目的とした。増築に際しては、突起物などないようにし、腰壁にゴムを張り付けるなど、細部にわたって馬を基準に計画する必要があった。

馬場を見守るように「馬魂碑」が安置されている。文字通り、馬の魂を慰霊する碑であり、生き物を扱っている部ならではのものだ。この馬魂碑は、昭和24(1949)年に創部30年を機に設置された。厩舎増築工事に伴い、移設することとなり、関係者が集まり神主による祈禱を行った。碑の横からは骨壺が掘り出された。これは昭和51(1967)年に開催されたモントリオールオリンピックに出場した、竹田恆和氏(昭和45年卒、昭和58年から6年間馬術部監督)と共に出場した馬「フィンク号」の骨を埋葬したものだ。

馬は古来より人に最も近く、移動手段や、農業、建築などの働き手として生活を共にしていた存在である。現代社会ではなかなか馬と触れ合う機会もなくなったが、日吉の馬場では、馬をパートナーとし、日々活動が行われている。

(管財部 渡辺 浩史)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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