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【新 慶應義塾豆百科】
幻の計画「日吉大講堂」

2021/06/30

現在の日吉記念館

2020年3月、日吉キャンパスで日吉記念館の建て替え工事が完了した。日吉記念館は白亜の建物として新たな日吉キャンパスのシンボル的な存在であり、式典や運動施設としての機能を有している。それ以前には、同様の機能の旧日吉記念館があり、それは慶應義塾創立100年を記念して1958(昭和33)年に建てられ、約60年利用されてきた。

では、それ以前はどうなっていたのだろうか。

歴史を辿ると、1949(昭和24)年のGHQからの返還後、当該箇所には一時期テニスコート・バレーコートがあり、戦前(1945年以前)においては、空地のままであった。

日吉キャンパスは、1934(昭和9)年に創設され、銀杏並木や陸上競技場、第一校舎、第二校舎、蝮谷テニスコートなど、今のキャンパスの原型がその頃、出来上がっている。この計画を手掛けたのが、曾禰中條建築事務所で、マスタープランを作るとともに、創建当時の各建物も曾禰中條による設計がほとんどである。

日吉記念館は、銀杏並木を抜けた正面に位置し、キャンパスの軸線の中央で、最も高い丘の上のシンボリックな場所である。そのような場所になにも作らず、空地のままにしておいたのも不思議である。

管財部倉庫には1933(昭和8)年当該場所に計画されていた、曾禰中條建築事務所が作成した「大講堂」の図面が残っている。それは、地下1階・地上4階建て、9,158㎡、幅55m、奥行き72m、建物高さ35mの当時としては、巨大な建物である。1階から4階は3000人収容の大講堂で、地下に小講堂を配し、2つの講堂を備える計画であった。創建時に作成されたキャンパス全体の鳥瞰図にも大講堂が描かれており、当初から「大講堂」が計画されていたことを物語っている。

創建時(昭和9年)に作成された日吉キャンパス全体の鳥瞰図(慶應義塾福澤研究センター蔵)

現在の日吉記念館は、式典の利用もできる、バスケットコート三面分の運動施設であり、式典と体育館の兼用機能となっている。それに比べて、この大講堂は、純粋に講義を行うための、文化ホールとしての機能が色濃い。

日吉キャンパスでは、1939(昭和14)年に藤原工業大学が設立されるなど、校舎の整備が先行された。その後、戦時下の影響もあって、大規模な資金が必要な、巨大な講堂の建設が、しばらく塩漬けとなって時が過ぎ、日吉記念館建設まで、空地となっていたと考えられる。

幻の計画となってしまったが、もし当時「大講堂」ができていれば、日吉キャンパスの景色もまた違ったものになっていたであろう。

日吉記念館の以前には、幻の「大講堂」の計画があったのである。

(管財部 渡辺 浩史)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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